こんな本を読みました。
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なぜ、占い師は信用されるのか?  「コールドリーディング」のすべて
2008年10月02日 (木) 21:33 | 編集
なぜ、占い師は信用されるのか? 「コールドリーディング」のすべてなぜ、占い師は信用されるのか? 「コールドリーディング」のすべて
(2005/10/12)
石井 裕之

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 「なぜ、占い師は信用されるのか?」(石井裕之/フォレスト出版)読了。

 副題は、『裏コミュニケーション術「コールドリーディング」のすべて』となっております。

 まず本書を読もうかなという前提として「コールドリーディング」とは何でしょうか?
 「言語的・心理的なトリックを使って、初対面の人の心を読み、未来の出来事を予言すること」だそうです。

 平たく言えば、“ニセ占い”です。
 初対面の人の過去・現在・未来を言い当てたと思わせるテクニックです。(p.4)



 本書はこの「コールドリーディング」が実際にどのように使われるのかを、分かりやすく解説してくれています。
 つまり、ニセ占い師・エセ霊能者の騙しのテクニックの解説書なのです。
 さらに、このテクニックをビジネスや恋愛など、普通の人の実生活での人間関係にいかにして活かせるかについても書かれています。

 「なるほどうまく考えてるな」と感心することしきりな内容です。
 実生活で生かせるかというと、かなりな訓練とか度胸とかいりそうですが、自分が使うということ抜きにしても、読む価値は十分にあると思います。
 なぜかと言えば、敵のやり口を知れば、自分が騙されないで済むからです。
 占い師や霊能者などが、本書に書かれているような手順で話し始めたら、これは怪しいと思えばよい。

 本書に出てくる例えで、他人の旅行の写真を見せられてもすぐに飽きてしまうが、自分が写っている自分の旅行の写真なら、いつまででも飽きずに眺められるというのがあります。
 他人事だと思って本書のテクニックを読んでいると、まさかこんな単純に騙されるのかと思ってしまいますが、ニセ占い師・エセ霊能者と一対一で対面し、自分が主役の話をしていると、夢中になって話の中に巻き込まれてしまうのだそうです。

 特に最後に出てくる、記憶を消してしまう方法というのが、バカバカしくもあり恐ろしくもありました。
 当たる占い師は当たっているのではなく、当たっていない部分の記憶を消していたのです。
 読んでしまうと「なーんだぁ」というテクニックなのですが、コロンブスの卵というのはこういうものなのでしょう。
 人間の脳みそというのは、自分たちが思っているほどには賢くないっつーことですな。

 何か問題が起こったとき、すぐに人に教えてもらおうとか、霊や前世の所為にしようとかじゃなく、自分の頭で考えて、行動に責任を持つという態度が重要ですな。
 などと、本書の本筋とは関係ないことを思う今日この頃…。

四十七人目の男
2008年09月22日 (月) 22:54 | 編集
四十七人目の男[上] (扶桑社ミステリー ハ 19-14) (扶桑社ミステリー ハ 19-14)四十七人目の男[上] (扶桑社ミステリー ハ 19-14) (扶桑社ミステリー ハ 19-14)
(2008/06/28)
スティーヴン・ハンター

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四十七人目の男[下] (扶桑社ミステリー ハ 19-15) (扶桑社ミステリー ハ 19-15)四十七人目の男[下] (扶桑社ミステリー ハ 19-15) (扶桑社ミステリー ハ 19-15)
(2008/06/28)
スティーヴン・ハンター

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 「四十七人目の男」(スティーヴン・ハンター/扶桑社ミステリー)読了。

 本屋で本書を目にして、びっくらこきました。
 終わったと思っていた、ボブ・リー・スワガーものの新作ではありませんか。
 しかも、舞台が日本だという
 これは、もう無条件で読まねばならんでしょう。

 ボブは、硫黄島から父親アールが日本軍の軍刀を持ち帰っているかもしれない、それを探してもらえないだろうかと頼まれます。
 その軍刀の持主は矢野大尉といい、依頼主は息子のフィリップ・矢野という人物です。
 ボブは数か月かけてその軍刀を探し出し、自ら日本の矢野家に届けるのです。
 矢野家の家族に歓待され、楽しく過ごしてさあ帰国というその日に、悲劇が訪れ、ボブはまたしても戦いの中に身を投じてゆくのだった・・・。

 話の筋は突拍子もなく、どんでん返しのカタルシスもなく、という、あまり自信を持って人に勧められる要素がない小説なのですが、ワシはなぜだか非常に楽しめました。
 というか、夢中で読んでました。
 夢中で読んだのに、読み終わったと、なぜあんなに夢中になれたんだろうっつー本がたまにありますよね。

 とにかく、あのボブが銃を全く手にすることなく、日本刀でバシバシ斬り合うのですよ。
 外国人から見た日本文化の分析がおもしろく、当たり前と思っていたことに新たな光を当てて観察しているその視点が新鮮です。

 なぜ本書を執筆したのかという経緯は、作者の謝辞に詳しく記されております。
 作者は映画の批評家が本職で、ワシントンポスト紙の映画批評部門チーフであり、2003年に批評部門でピュリッツアー賞を受賞しているという大家です。
 まずそのことを念頭において、以下引用します。

 本書を執筆することになった根源は、アメリカ映画が新たな“低み”に達したために、職業的映画批評家としてのわが人生にふさぎの虫が巣食ったことにあった。その泥沼の中で、わたしは山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』を観て、即座に復活した。そしてそれがもととなって、サムライ映画を観まくる二年間を送ることになり、その妄念は最終的に、大名や旗本などが生きた時代に材を取ってのサムライ小説を書くというアイデアに結実した。(p.366)



 結局そのアイデアはあまりに無謀であるということに気づくくらいの頭はあったので、サムライ小説とアメリカ流スリラー小説を融合させるべく努力した結果が、本書なのだという。

 さて、スワガー・シリーズを読んでいる人は果して本書を手放しで楽しめるでしょうか
 ワシはけっこう楽しめましたが、がっかりという人もいるでしょう。
 一種の賭けですな。

 本書からこのシリーズに入っていこうというのは、絶対に勧めません。
 まずは、「極大射程」(新潮文庫)を読んでみてください。これは絶対に面白いです。

極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)
(1998/12)
スティーヴン ハンター

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ジャーナリズム崩壊
2008年09月02日 (火) 21:53 | 編集
ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
(2008/07)
上杉 隆

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 「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆/幻冬舎新書)読了。

 著者は、NHK報道局勤務、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者を経て、現在フリージャーナリストとして活動中です。
 「官邸崩壊」というベストセラーをかっとばしたのが記憶に新しいところでしょう。

 本書のテーマは日本のジャーナリズムの水準の低さ、そして特に「記者クラブ」制度の弊害です。
 これがいかに問題だらけ、疑問だらけの制度であるかを、教えてくれます。

 ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者の経験から、外国のジャーナリズムの常識との比較の過程で、日本のシステムとの差異がくっきりと浮き彫りになります。

 「日本に『ジャーナリズム』はある。ただしそれは日本独自のものであり、海外から見ればジャーナリズムとはいえない」(p.18)



 著者の実体験が次々と出てきて、記者クラブ制度の問題点がどこなのか、とうことがよくわかります。

 例えば、記者クラブに入っていないと、政治家などに自由にインタビューもできないのだという。
 政治家は「記者クラブに許可を取れ」といい、記者クラブは許可を出さないため、フリーランスや外国人記者は結局自由に情報源にアクセスできない。
 政治を監視するどころか、政治家をスキャンダルから守るような、本来のジャーナリズムとは真逆の役割を嬉々として演じ、小出しに出される情報をもとに、みんなが同じ記事を書くという、なれ合いの談合体質。
 しかも、ごていねいに、お互いのメモを見せあい確認しあうという「メモ合わせ」なんてことまでやっているのだそうっす。
 このように、情報を独占し、かつ、クラブの人間以外が情報にアクセスすることを妨害する。
 国民の知る権利のために闘うぞ、などという気概は微塵もない。

 また、記者クラブ以外の日本の新聞のおかしな慣習は、引用した記事の出所をちゃんと書かないところだという。
 「一部週刊誌によると」などと書き、あるいはそれもまったく書かずにまるで自分が取材したかのように書き(「なになにだと分かった」とか)、しかもその記者自身は記事に署名しない。
 
 署名がないため責任があいまいな上、記事に間違いがあっても、新聞社はなかなか認めず、記者を罰するどころか、会社をあげて守ろうとする。

 その他、問題点がごろごろ出てきます。
 もう、途中で嫌になってしまい、もう新聞はとらなくてもいいんじゃないかとすら思えてきます。

 自費出版が問題になっても歯切れの悪いことしか書かないのはなぜかなー?と思っていたら、新聞社の子会社が自費出版の広告を出していてあきれたことがあります。
 記者はサラリーマンで定年まで無事勤め上げたいと思い、新聞社は、公平・中立・ジャーナリズム宣言()などと口先ばかりで、自分たちの金もうけの邪魔になることは書かないのでしょう。
 ま、商売だからと言えばそれまでですが。

 ワシなんか馬鹿だから、インターネットの個人のブログなどをあちこち拾い読みする過程で、それまで知らなかった事実やモノの見方に出会い驚くばかりで、新聞やTVなどが偏った報道を繰り返しているということに、最近ようやく気付き始めてました。
 そこにきて、本書を読み、あぁなるほどという感じです。

 本書の提示している問題点が、繰り返し論じられ、日本のジャーナリズムが国際標準に追いつくことを期待します。
わたしの失敗
2008年08月18日 (月) 10:55 | 編集
わたしの失敗わたしの失敗
(2006/05/29)
産経新聞文化部

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 「わたしの失敗 著名人の体験」(産経新聞文化部 編著/産経新聞社)読了。

 ワシは図書館でコレ借りましたが、今は文庫で出ています。
 さまざまな著名人の失敗談に的を絞ったインタビュー集です。
 産経新聞の連載を纏めたものだそうです。

 非常によくできた短編集を読んだあとのような、充実した読後感です。
 この人にこんなことがと、驚かされる裏話満載でした。
 今有名な人ばかりなので、ある種ハッピーエンドが約束された苦労話で、極度に暗くなりすぎないのもよいです。

 ワシなどは「天才」と呼ばれるような人は、大した苦労なしですばらしい作品をポンっと出し、それが手放しで評価され…みたいなもんなんだろと思いこみがちですが、不安にさいなまれたり、壁にぶち当たったりしているのですなぁ。

 たとえば、あの安藤忠雄がこう言う。

 「自分なりに必死で学び、力をつければ建築の仕事ができると信じていた。ところがまず、学歴や社会基盤のない人間を世間は相手にしてくれない。自分の力が通用するのかどうか悩んでも、相談できる相手もいない。絶えず心は不安でいっぱいでした」(p.104)



 思い込みと言えば、サッカーの釜本はメキシコ五輪で得点王にまでなり、海外からオファーもあったのに、なぜか外国に出て行かなかった。
 それは、釜本に勇気がなかったからだ。
 行っていれば日本のサッカー界の歴史も変わっていただろう。
 というコメントを昔TVで聞いて、ただ単純に「ああ、そうだったのか」と思っておりました。
 が、今回この本で、真相が分かりました。
 釜本はウイルス性肝炎にかかり50日間の入院。さらに、三年間毎週通院して薬が手放せない日々が続いたのだという。
 この所為で、海外クラブへの移籍と、W杯予選の二つの夢が消えてしまったのでした。

 何かを勝手に思い込んだり、人の無責任な言葉を丸飲みしてしまうというのは、とても危険なことです。反省。


 
お気に入りをとじる やさしい製本入門
2008年06月29日 (日) 21:52 | 編集
お気に入りをとじる―やさしい製本入門 (NHK趣味悠々)お気に入りをとじる―やさしい製本入門 (NHK趣味悠々)
(2008/05)
不明

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 NHK教育で現在放送中の、趣味悠々「お気に入りをとじる やさしい製本入門」 のテキストです。
 ワシの写真のブログでも、製本について書くと、わざわざ検索してくる人が多く、「興味を持ってはいるが、どこから手をつけたらよいかわからない」 というニーズが多い分野なのでしょう。
 見逃している人も、再放送があるかもしれませんので、要チェックです。
 この本だけでも、非常に分かりやすく解説してあるのですが、動く映像を見るとさらによく理解できるでしょう。
 番組に気づいてない人も多いと思われますので、紹介してみました。
ゴッホは殺されたのか
2008年05月28日 (水) 21:23 | 編集
ゴッホは殺されたのか 伝説の情報操作 (朝日新書 94) (朝日新書 94)ゴッホは殺されたのか 伝説の情報操作 (朝日新書 94) (朝日新書 94)
(2008/02/13)
小林 利延

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 「ゴッホは殺されたのか 伝説の情報操作」(小林利延/朝日新書)読了。

 衝撃的な題名です。
 題名の通り、ゴッホの他殺説について書かれた本です。

 本書は小説ではありません。
 著者は、誰でも読むことのできる「ゴッホの手紙」や、死後に発表された関係者の証言などから、推理を組み立てていきます。
 読み終わると、「こりゃ本当に他殺説を唱える他ないわな」 という気分に陥ります。
 「ダヴィンチ・コード」のような後味がありますが、繰り返して強調したいのは本書は小説ではないということです。

 ゴッホの人生を振り返りながら、最後に犯人を導き出すという構成ですが、冒頭に、ゴッホの自殺説がいかに胡散臭いかが解説されます。
 このプロローグがみごとで、ここを読んでしまうと、先を読まずにはいられなくなります。

 恥を忍んで告白しますと、ゴッホが自殺したという知識はありましたが、それがどういう状況であったかということを全く知りませんでした。
 耳を切った後の頭を包帯でまいた自画像のイメージが強烈であった為か、無意識のうちに、同じように室内で頭を撃って自殺したのであろう(耳を切ったのは室内)と、勝手に思い込んでおったのです。
 大部分の人はこの程度のイメージしか抱いていないのではないでしょうか。

 居合わせた人々の証言によると、滞在中の旅館からスケッチに出かけたゴッホが、夜になっても帰らず、心配していたところに、お腹を押さえながら戻ってきて、そのまま自分の部屋で寝込んでしまった。
 旅館の主が様子を見に行くと、傷口を見せたので、ガッシェ医師を呼んだ。
 ゴッホはすぐには死なず、知らせを受けて駆け付けた弟テオに看取られて死んだ。
 ということなのです。

 傷口についての記録を調べると、左脇腹から下を撃ったということで、自分で撃ち込むには非常に難しいというかほぼ不可能な箇所なのです。
 しかも、どこで撃ったのか、目撃者がいないのはもちろん、場所もはっきり特定されておりません。
 さらに、凶器のピストルが発見されておらず、入手経路も不明なのです。
 数日前に買ったという説がありますが、確実に証明されておらず、だいたいテオの仕送りに頼って、貧乏暮しをしていたゴッホにピストルを買うような金銭的余裕はありませんでした。
 ゴッホが自ら「自分で撃った」と語ったという証言がありますが、誰かをかばっていたとしたらどうなるのでしょう

 いやー、ざっと挙げただけでも、ゴッホの自殺説がいかにいい加減かおわかりになるでしょう。
 この実に曖昧な自殺説に、なぜ誰も疑問を投げかけず、事実として流布されてしまったのか
 これが本書の副題になっている「伝説の情報操作」であるわけです。
 本書には「他殺の証明」と、「他殺の隠ぺいの真相」という二つのテーマがあるわけです。

 で、犯人は誰なのか?
 それは本書の大切なクライマックスなので、書くわけにはいきません。
 興味の湧いた人は読んでください。

生物と無生物のあいだ
2008年04月27日 (日) 21:57 | 編集
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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 「生物と無生物のあいだ(福岡伸一/講談社現代新書)読了。

 人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも生物とは何か、皆さんは定義できますか?(p.3)

 というプロローグから始まります。

 確かに不思議なのだこれは。
 たいていは明らかに分かり切っているわけです。
 スーパーで売られている肉は死んでいる。
 死んでいる肉を生き返らせることは絶対にできません!
 一方、それを買う人間は生きている。
 人間を構成している細胞の一つ一つは生きている。
 
 ここまでは了解。
 
 死んでいる肉を人間が食べて、肉が分解されて人間の細胞に取り込まれると、死んでいた肉は生きている細胞を構成する部品となるわけです。
 ここで、混乱が生じます。
 明らかに死んでいるものが、次の瞬間には明らかに生きているとしか言いようのないふるまいをし始める。
 これは死んでいるものが生き返ったと考えるべきなのか?
 あるいは、そもそもワシらが当たり前に考えている、生物と無生物の定義が間違っているのか?

 本書の前半は、野口英世は現在の基準でみるとほとんど意味のある発見をしていなかったという、ワシら一般人にとっては驚きの事実から始まります。
 そして、オズワルド・エイブリーやロザリンド・フランクリンなどという、あまりスポットライトは当たりませんが、非常に重要な研究をした科学者たちと、DNAとは何かという読み物です。
 この辺は文章がものすごくうまいので、すらすら読み進められます。
 それが、生命とは何かという疑問に対する一つの答え、「生命とは自己複製するシステムである」という定義に至る道のりであるわけです。

 しかし、福岡さんはプロローグでこう記しています。

 結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。生命の律動? そう私は先に書いた。このような言葉が喚起するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義づける方法はありえるのか。それを私は探ってみたいのである。(p.38)


 本書の後半の記述は、段々と小難しくなっていきます。
 福岡さんがアメリカで行っていた研究の詳しい解説が中心になってます。
 一生懸命分かりやくす伝えようとしている努力がありありと理解できるのですが、それでもワシのような素人には難解に感じてしまいます。
 たぶん、自分の見出した結論をリアルに理解してもらうためには、実験の過程を読者にも追体験してもらうことがどうしても不可欠だ、という判断でありましょう。

 生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである。


 これだけだと何が何だか分かりませんが、読んでみれば、なぜこの結論に達したのかがわかる仕掛けになってます。
 
効率が10倍アップする新・知的生産術
2008年03月30日 (日) 16:57 | 編集
効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法
(2007/12/14)
勝間 和代

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 「効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法」(勝間和代/ダイヤモンド社)読了。

 長いことベストセラーランキングに入っていて、土曜日につい観てしまう「王様のブランチ」の本のコーナーでも紹介されたりと、何かと気になる本だったので、読んでみました。
 著者の勝間さんは、ウォール・ストリート・ジャーナルが選ぶ「世界の最も注目すべき女性50人」に選出され、史上初の30代で「エイボン女性大賞」を受賞、19歳の時に当事史上最年少で公認会計士二次試験に合格、…その他いろいろという、実に華々しい経歴の持ち主だそうです。

 これまで自分の経験や周りの人たちから教わって培ってきた、効率よく仕事を片づけ、より残業をしなくてもすむ、知的な仕事術や方法論をあなたに伝授することをめざしています。(p.1)
 この本でこれから紹介していく知的生産術は誰でも再現できるということをめざしました。(p.3)

 というのが本書です。

 著者は、

 これまでの知的生産術の多くは、紙や文房具を使ってどうやって生産性を上げるかという技術が多く、パソコンの使い方が少ないため、物足りなく感じていました。(p.7)


 と言います。
 確かに本書には、PCやGPS付き携帯ナビなどのハイテクを使ったテクニックが、多数登場してきます。

 読後に印象に残ったのは、とにかく本を沢山読むということ。
 著者は月に15万円を本代につぎ込んでいるそうです。

 で、大切なのは、読んだ知識を生かすことです。
 例えば、「空→雨→傘」の考え方。
 空を観察し、雨が降りそうだと予想し、傘を持って出かける。
 これは誰でもやっていることですが、仕事や生活のすべての局面でこれを実践してゆくということですな。

 ワシなんかには出てくる話をとてもすべて真似できませんが、学んだり思いついたアイデアを実行してゆくという著者の行動力が凄いっす。
 「王様のブランチ」に完全装備で自転車で表れたときの第一印象は「なんだこの人は!」でした。
 本人は大真面目なほど、ほとんどコメディと紙一重の見てくれになってしまうのだ。
 普通の人なら「何もそこまで・・・」と思うよな事を、やると決めたらやる、というのは、賢いと同時にバカになりきれる能力も同時にないと、無理なような気がします。
 ここまでやり切れる人じゃないと、なかなか成功できないっつーことですな。
 
 自己啓発や知的生産力アップのコンパクトなカタログとして読んでも、よくまとまっております。
 普段こういう本に接していない人の、よいとっかかりになる本でしょう。
 お奨めの本などが大量に紹介されており、気になったのはメモしてそのうち読もうと思います。
株式会社
2008年03月23日 (日) 17:16 | 編集
株式会社 (クロノス選書)株式会社 (クロノス選書)
(2006/10/12)
ジョン・ミクルスウェイトエイドリアン・ウールドリッジ

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 「株式会社」(ジョン・ミクルスウェイト エイドリアン・ウールドリッジ/クロノス選書)読了。

 ズバリ、紀元前から現代に至る、「株式会社」の歴史です。
 単に株式会社というものの仕組みの変遷だけを書くのではではなく、時の社会や政府との関係、歴史の流れの中でどういう変化をしてきたのかを解説するという、ありそうでなかなか無い本です。

 当然のことですが、歴史や社会の制度と無関係に会社が存在するわけではありません。
 ですから、歴史の知識と企業制度の知識の両方がちゃんとある人物でないと、本書のような本が書けないのです。
 だから、ありそうで無い貴重な本っつー訳です。
 しかも、ワシのようなド素人でも読みやすい、簡潔な文章で、これまた貴重です。

 その昔ヨーロッパからアメリカやアジアに船を出すのは、とてもリスキーなことで、出発してちゃんと帰ってくるのは三分の一くらいのものだったそうです。
 この(現代でいえば)宇宙船を飛ばすような大プロジェクトに失敗した場合、借金を背負って一家離散とか刑務所に入れられたりとか、もうとんでもないことになってしまう。
 そこで、たくさんの人からお金を集めて、お金を出した人は自分の出したお金以上の損はしないという「有限責任」というアイデアが生れるのです。
 しかしこの頃はまだ会社の設立には国の特許が必要でした。(東インド会社などのように)。
 その後の会社法の改正と、産業革命による大規模な設備投資の必要性から、現代的な株式会社の制度が普及していった、という流れのようです。

 昔の話もおもしろいのですが、第二次大戦以降もまた楽しいっす。
 お馴染みの会社が実名でどんどん出てきて、それらがどのように発展したのか、はたまたエンロンのように破綻したのか、現代の株式会社の栄枯盛衰も読み応えがあります。


 
色の秘密
2008年03月07日 (金) 22:24 | 編集
色の秘密―最新色彩学入門 (文春文庫PLUS)色の秘密―最新色彩学入門 (文春文庫PLUS)
(2005/07)
野村 順一

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 「色の秘密 最新色彩学入門」(野村順一/文春文庫PLUS)読了。

 題名から連想すると、相当にお堅い本かと思ってしまいますが、全く違い、非常に読みやすいです。
 一言でいうと、「色に関するトリビアの羅列」か。
 「色」が人間の精神と身体にいかに多くの影響を与えるか、本当に驚くばかりです。

 例えば、色によって物の大きさが違って見えるという話。
 赤と青の自動車を同じ位置に置くと、人間の目には赤の方が7メートルも近くに見えるのだという。そのため、青い車は小さく見えるので、事故遭遇率が一番高いのだそうです。
 その理由がちゃんと科学的に説明されているのが面白いところ。

 赤は屈折率が小さいから、目の網膜より奥に結像する。そこで水晶体は網膜上に像を結ぼうとして、水晶体をふくらませて網膜に戻し、ピントを合わせる。その調節したぶんだけ水晶体が凸レンズとなるので対象物は接近し、膨張して見える。(p.60)

 青はその逆で、水晶体を薄くしてピントを合わせるために対象物は後退し、縮小して見えるというわけですな。

 また、「捨て色」という概念をはじめて知りました。

 数奇屋風の様式は茶室から和室に及び、日本人は色を見るための色を使う。色の数を少なく、明度や彩度も低めに抑え、茶器の渋さと帛紗(ふくさ)、茶室と和服の対比を生む。そのため茶室の色は「色を見るための色」すなわち「捨て色」になっている。(p.218-219)


 下着は白が一番良いそうです。
 白は大部分の放射線を透過して伝導するから、生命体が必要とする光が身体に届くからだそうです。
 白い下着を着れば風邪も治ると言い切ってます。
 逆に黒い布はすべて吸収してしまうのでよくないそうで、皺が増えるのだとか。

 光すなわち色は、皮膚と神経に作用し、さらに肺臓、肝臓、腎臓など、すべての器官系統に作用している。(p.65)


日本人には教えなかった外国人トップの「すごい仕事術」
2008年02月20日 (水) 22:22 | 編集
日本人には教えなかった外国人トップの「すごい仕事術」 (講談社BIZ)日本人には教えなかった外国人トップの「すごい仕事術」 (講談社BIZ)
(2007/08)
フランソワ・デュボワ

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 「日本人には教えなかった外国人トップの「すごい仕事術」」(フランソワ・デュボワ/講談社)読了。

 「仕事術」という言葉ほど仕事術にこだわった内容ではなかったです。
 売るためにつけた題名ですな。
 しかし、中身は別の意味で濃いっす。

 著者のデュボワ氏は音楽家であると同時に、キャリアデザインの教室も持っているという人物だそうです。

 インタビューされているのは次の五名です。

 カルロス・ゴーン(日産自動車)
 リシャール・コラス(シャネル)
 マリア・メルセデス・M・コラーレス(スターバックス)
 アントワーヌ・サントス(エコール・クリオロ)
 ティエリー・ポルテ(新生銀行)

 「キャリア」という言葉の語源をラテン語のカラリア(carraria)から求め、「道」という意味で解釈して、相手に仕事以外の生き方を含めた人生全般について語ってもらうことに成功しています。
 と同時に、「芸術」をキーワードにして、仕事や人生を見つめてみるというアプローチもあり、広く生き方について語られている本である、と言えましょう。

 というのも、この本も、自分の道は自分で切り開きたい、という日本の若い人たちのために作りたいと思ったからです。人生は自分で楽しめるものだ、といういい例が目の前にある。(p.95)


 共通して皆さんが言うのは「チャンス」ということ。
 どんな人生にも目の前に必ずチャンスが訪れ、それを逃してはいけないという事。
 そのためには普段から心構えをし、真面目に仕事をし勉強をし…そしてその時が来たら、変化を恐れてはいけない。

 個人的には唯一の女性であるコラーレスさんの章が一番面白かったです。
 女性であることとフィリピン人であることの二重のハンデを、どのように乗り越えてきたか?
 恨みがましい言葉は一切なし。
 明るく楽天的な話の中に、仕事で結果を出し、実力で尊敬を勝ち取ってきた人間の凄みが垣間見られ、感動的ですらあります。

反省
2008年02月02日 (土) 21:57 | 編集
反省 私たちはなぜ失敗したのか?反省 私たちはなぜ失敗したのか?
(2007/06/15)
鈴木 宗男/佐藤 優

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 「反省 私たちはなぜ失敗したのか?」(鈴木宗男 佐藤優/アスコム)読了。

 「疑惑の総合商社=鈴木宗男」と「外務省のラスプーチン=佐藤優」の対談です。
 「反省」という題名ではありますが、本人たちが罪を認め、逮捕された事件を反省してます…という内容ではもちろんありません。
 彼らは無実の罪で捕まってしまった。
 それは何故なのか?
 事件の真相は?
 自分たちのどこに付け込まれる隙があったのか?

 「国民に対する説明責任を果たさないで、本当にすみませんでした。深く反省してます」(p.9)

 という意味での「反省」です。

 本書で明かされるのは、どれも「本当かいなっ」とにわかに信じられないような話ばかりです。
 検察が適当にシナリオを作って逮捕する、国策捜査。

鈴木 (取調べ中に検察官が)「世論に押されてやりましたが、マスコミに出たものではなに一つ事件にできませんでした。まあ、それが捜査というものです」と言った。カッときて「ふざけるんじゃない。最初から思い込みで逮捕したのか。国策捜査じゃないか」と声を荒げたら、「はい、権力を背景にしておりますので、そう受け止められるなら、そのとおりです」と言う。怒る気力も失せましたよ。(p.38)


 しかし、検察は外務省に利用されたにすぎないのだという。
 本当にひどいのは外務省で、秘密を知りすぎた鈴木宗男を排除する為の工作によりこの馬鹿馬鹿しい国策捜査となった。
 結局のところ、権力のメディア操作に検察だけじゃなく、ワシら国民も乗せられ、騙されてしまっていたようなのです。

 ひどい捜査の真相は本書のプロローグにすぎず、外務省の内幕を広く国民の皆さんに知ってもらおうというのが本当の目的のようです。
 これはおかしいっつーエピソードだけではなく、関係者もすべて実名で出てくるってのが凄い。しかも巻末に顔写真と略歴まで並んでいるのっす。
 この無能な連中が、単に税金を無駄遣いしている(それだけでも大問題なわけですが)だけではなく、外交でヘマをし続けて、日本の国益を損ない続けているという現実を直視しなくてはなりません。

佐藤 義理人情も恥も忘れた彼らは、同じ日本人として「ああ、この人は信頼できるな」と思えない人たちなんです。ところが日本人に好かれず、日本人が二度と会いたくないと思う人たちに、外国人と信頼関係を構築して、本当の外交交渉を展開することができるのか。できませんね。日本人が二度と会いたくない気持ち悪いヤツなんて、外国人だったら絶対、日本人以上に会いたいと思わないに決まってますよ。(p.266)


 話半分としてもこれは本当におかしいことばかりで、日本国民として一読しておくべき本ではないでしょうか。
 他人事ではありません。ワシらが住んでいるこの国の現実の話なのです。


佐藤可士和の超整理術
2008年01月25日 (金) 22:24 | 編集
佐藤可士和の超整理術佐藤可士和の超整理術
(2007/09/15)
佐藤 可士和

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 「佐藤可士和の超整理術」(佐藤可士和/日本経済新聞出版社)読了。

 著者の佐藤可士和氏ですが、最近TVでの露出が多いので、ご存知の方も多いでしょう、有名なアートディレクターです。
 ワシもTVを見てその存在を知ったくちで、そうでなければ読まなかったかもしれません。

 SMAP、極生、ユニクロ、国立新美術館などの具体的な仕事を見れば、「ああ、これの人」と誰でも分かるでしょう。
 本書は具体的に、この仕事の時はこうだったという例を引きつつ、「整理」というキーワードで書かれた、仕事術の本です。
 ご本人の言葉によれば、

 「整理と問題解決は、同じベクトルでつながっている」(p.216)

 ということになります。

 佐藤さんによれば、自分はドクター、クライアントは患者なのだという。
 患者を問診して、問題点を洗い出し、病状の原因と回復に向けての方向性を探ってゆくのだそうです。
 ですから、アートディレクションは自己表現が原動力ではない、と言い切ります。
 答えはいつも、自分ではなく相手の中にあるのだと。

 整理して新しい視点を見つけるということは、それまで見えなかったものが見えてきて、視界がクリアになるということ。新鮮な気分になったり、インパクトを与える切り口が見つかったり、人を感動させるポイントが把握できたり……ポジティブな発見がたくさんあります。つまり、視点を見つけたその時点で、アイデアの糸口になっているはずなのです。(p.216)


 整理には三段階のレベル、「空間の整理」、「情報の整理」、「思考の整理」があり、進むにつれ難易度も上がってゆきます。
 単に整理整頓というだけでなく、目の前の材料を、いろいろなキーワードで優先順位を変えながら、ソートしてみるというテクニックなど、応用がききそうです。
 話が具体的なので分かりやすく、いろいろと学ぶべきところが多かったです。


リドリー・スコットの世界
2008年01月05日 (土) 21:54 | 編集
リドリー・スコットの世界リドリー・スコットの世界
(2001/04)
ポール・M. サモン

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 「リドリー・スコットの世界」(ポール・M・サモン/扶桑社)読了。
 映画監督リドリー・スコットの生い立ちから、「ハンニバル」製作途中までを綴った、とても面白い読み物です。
 著者はスコットと親しい人物で、スコットの肉声が多数収録されております。
 いろいろな裏話を知ってしまうと、どの作品ももう一度見直したくなってきます。

 リドリー・スコットというと、そのキャリアの初期に撮った「エイリアン」、「ブレードランナー」などSF映画の名作がすぐ思い浮かびますが、意外なことにスコットは「エイリアン」を撮るまでSFには興味がなく、知識もなかったとのだそうです。
 「デュエリスト/決闘者」という第一作目の映画は、ジョゼフ・コンラッド原作のナポレオン戦争時代のフランスの話で、第二作目としてなんと「トリスタンとイゾルデ」の準備に入っていた!
 しかし、時は1977年、スコットはチャイニーズ・シアターで「スターウォーズ」を観て衝撃を受けます。
 それと時を同じくして、20世紀フォックスの幹部がカンヌ映画祭で「デュエリスト/決闘者」を観て、スコットの才能に惚れ込み、彼に監督を依頼すべく、面白そうな脚本を探し始めるのです。
 そして、スコットの元に「エイリアン」の企画が持ち込まれるのでした。
 SF映画を「とてつもなく馬鹿げたもののように思っていた」(p.124)スコットがもし「スターウォーズ」を観ていなければ、「エイリアン」を撮る気になったでしょうか?
 偶然の巡り合わせで、あの名作が生れるわけっすね。

 さて、我々日本人にとって、スコット作品の中で最も思い入れの深いのは「ブラック・レイン」ではないでしょうか。
 更に言えば、「ブラック・レイン」イコール松田優作の映画であると考えている人も多いでしょう。
 本書の中でスコットの松田優作評があるので、引用します。

 「彼は、じつに痛快な日本のテレビドラマの主演で知られている、本質的にはコメディ俳優だった。たぶん、優作は大勢の女性ファンから愛されていた人気者だったろう。ともかく、日本では絶大な支持をうけていた男だ。個人的には、彼をどんなふうに感じていたかって じつに良いやつだったよ。正真正銘の、ナイス・ガイだった」(p.217)

 「ブラック・レイン」については、当初監督にポール・バーホーベンが予定されていたが降板したとか、コンクリン(M・ダグラス)が佐藤(松田)を殺してしまうシーンを撮影していたが、後で差し替えたとか、まあとにかくいろいろなトリビアが載ってます。

 リドリー・スコットに興味がない人でも、映画制作システムの舞台裏が垣間見られて、楽しく読めると思います。

写真家の現場
2007年12月16日 (日) 16:31 | 編集
 「写真家の現場―ニュードキュメント・フォトグラファー19人の生活と意見!」(土方正志/JICC)読了。

 写真家へのインタビュー集です。
 図書館をぶらぶらしていて見つけました。
 初版の発行が1991年ということで、本屋では見つかるかどうか分かりませんが。
 目次のラインナップをづらーっと書きます。
 気になる人がいれば、一読すると面白いかもしれません。

社会的風景を撮る―被写体に自分自身を見出す(鬼海弘雄)
「写真」を撮る―写真自体の魅力を求める旅(三好耕三)
建築物を撮る―解体と創造が折り重なる現場(宮本隆司)
核を撮る―見えない問題を透視するには(豊崎博光)
気を撮る―物に付着した気配を写す(喜多章)
アジアを撮る―釜ヶ崎からアジアへ向かって(山本将文)
日常風景を撮る―身辺を日記のように記録(太田順一)
ヌードを撮る―肉体の向こう側に見えるもの(高木由利子)
ルーツを撮る―元ボクサー・サベロンの奮戦!(砂守勝巳)
島を撮る―棄てられた島に物の原形を見る(雑賀雄二)
紛争地を撮る―ニュースを超えた私的な報道(長倉洋海)
東京を撮る―都市を因数分解する方法(瀬戸山玄)
里帰りを撮る―バンコク、ハノイ、そして東京(瀬戸正人)
民族を撮る―ゲリラとの生活で見た文化の深層(吉田敏浩)
乞食を撮る―路上の羅漢たちを追って(山中学)
同性を撮る―女たちへの共感を写真に託す(飯田典子)
ラテン・アメリカを撮る―アイアグア[いのちの水のありか](嵯上道正)
スポーツを撮る―競技場は劇場だ(築田純)
共産圏を撮る―ぼくらの世代のイメージを追う(ヤマグチゲン)

 私はできることなら写真一枚、一枚がそれ自体の世界を持って立ちあがることができ、しかもそれらが集まって一群になったとき、新たにコスモスとして表れるような写真を撮りたいと思っている。
鬼海弘雄 p.23



内臓感覚
2007年11月16日 (金) 22:32 | 編集
内臓感覚―脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス 1093)内臓感覚―脳と腸の不思議な関係 (NHKブックス 1093)
(2007/09)
福土 審

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 「内臓感覚」(福土審/NHKブックス)読了。

 「過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome :IBS)」という病名を聞いたことがあるでしょうか?
 腹痛や便通異常が慢性的に持続するのですが、検査をしても器質的疾患が認められず、ストレスを受けると発症したり悪化したりするという病気です。
 「死ぬような病気じゃなかろう」、「検査で異常ないんだから、気のせい気のせい」などと甘く見てはいけません。
 怖くて電車に乗れなくなったりだとか、エスカレートすると失職や不登校にまで発展してしまう恐ろしい病気なのです。
 現代では(症状の軽重はありますが)ざっと五人に一人が罹っているというポピュラーな病なのです。
 自分でも心当たりがあるとか、そういえば知り合いにそういう人がいるとかありませんか。

 著者の福土さんはこのIBSのを長年研究してきた専門家で、国際的な診断基準を作成した機能性消化管障害国際ローマ3委員会委員という、とにかくそれなりに偉い人らしい。
 本書は、多少専門用語が出てきて、とっつきにくい所もありますが、最新の研究成果が盛り込まれた、比較的分かりやすい解説書になっております。

 ワシの印象では、今までIBSが語られる場合、ストレスなどの脳の問題が重点的に取り上げられることが多かったように思うのです。
 心理的要因が唯一つのIBSの原因だという前提で、いかにストレスと付き合うかなどという、あまり客観的でもなく科学的でもない、自己啓発の作文みたいなのを読まされることが多く、釈然としなさ感のみが残ってしまうのでした。

 本書の素晴らしいのは、脳と腸を同時に平等に扱っている点です。
 そして大事なキーワードの一つが「脳腸相関」です。

 動物の進化は腸からはじまった。腸の周りを神経細胞が取り巻いた。神経細胞があることで、腸の働きが効率良く調節できるようになった。やがて、脊髄ができ、その先端部がふくらんで、脳ができる。(p.9)


 脳と腸は繋がっており、お互いの情報をやり取りしているのです。
 しかも、腸やその他の部位から脳に入ってくる情報は、脳の情動形成にも深く関わっているのだという。
 つまりIBSが脳腸相関の病気であるということは、腸の症状であるのと同時に、体表的なストレス関連疾患でもある、という二つの側面を同時に持つということです。
 IBSはストレスなどの脳の中の問題が腸の症状になる場合と、もともと腸の感度が高い人が症状を発症し、それが脳に伝わって気分が落ち込む場合の二通りのパターンがあるということが、数々の研究で明らかになってきたのです。

 本書はIBSという病気の入門書ではあるのですが、同時に今まで知らなかった脳と腸の関係性が明らかになっていく過程をスリリングに読ませる、人体の新しい見方を発見する本にもなっており、非常に面白かったです。

清張さんと司馬さん
2007年11月04日 (日) 22:06 | 編集
清張さんと司馬さん (文春文庫) 清張さんと司馬さん (文春文庫)
半藤 一利 (2005/10/07)
文藝春秋
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 「清張さんと司馬さん」(半藤一利/文春文庫)読了。

 最近は昭和史をテーマとした著作を数多く執筆されている半藤一利さんですが、元はといえば文藝春秋の編集者だった(専務取締役、同社顧問などを歴任)そうです。
 そして、担当編集者として、松本清張と司馬遼太郎の二人と濃密な交流をし、多くのことを学んだのだという。

 本書はNHK教育「人間講座」のために書かれたテキストを元に、大量の補注と書き下ろし原稿一本、司馬遼太郎のインタビュー原稿二本を加えたものです。
 等身大の二人との作家のエピソードや、作品の比較・分析など、非常に分かりやすい文章で書かれていて、読みやすく面白く、それでいていろいろと考えさせてくれ・・・という、お買い得といいますか、とてもいい本です。
 特にどちらかの作家のファンであれば、必読でありましょう。
 ワシの場合、松本清張は一冊も読んだことがありませんが、司馬遼太郎に関しては、大ファンなのっす。
 一番最初に読んだのは、あれは確か高校時代に「燃えよ剣」・・・。

 読み始める前は、面白エピソードと単なる両作家のヨイショに終始するのではと予想し軽ーく読むつもりだったのですが、其処は半藤さんです、言いたいことは言う。
 特に統帥権問題などで、司馬さんとは昭和史の捉え方に溝があるようです。

 『この国のかたち』で、こうした司馬さんの歴史観察を読んだとき、これじゃ昭和史は書けないんじゃないか、とわたくしは率直に思うようになりました。「統帥参考」をカギにして、複雑怪奇な昭和史の扉を開けるには、相当な無理がある。上から広く俯瞰しようにも、これでは見下ろせる世界は狭すぎる。(p.158-159)



 有名な話ですが、司馬さんのエピソードを一つ引用します。
 「竜馬がゆく」の資料集めを神保町の古書店に依頼したのだそうですが、その時集めた資料がおよそ三千冊、重さにして一トン、金額は昭和三十年代当時で一千万円っだったそうです。
 ちなみに昭和三十五年の半藤さんの月給は二万円ちょっとだったとか。(p.118)

 本書のおかげで松本清張も読んでみたくなりました。


ナショナリズムの克服
2007年10月27日 (土) 21:42 | 編集
ナショナリズムの克服 (集英社新書) ナショナリズムの克服 (集英社新書)
姜 尚中、森巣 博 他 (2002/11)
集英社
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 「ナショナリズムの克服」(姜尚中 森巣博/集英社新書)読了。

 東京大学社会情報研究所所長で、長年「日本」について鋭い批判と分析を続けてきたという姜尚中さんと、作家の森巣博さんの対談です。
 テーマは「1990年代以降、日本に吹き荒れているナショナリズムの嵐」で、「本書はナショナリズムを理解し、何者をも抑圧しない生き方を模索する為の入門書です」という宣伝文句につられて読んでみました。

 「ナショナリズムの嵐」とか言われても、そんなものが本当に吹き荒れていたのだろうかとまったく気づかないで生きてきていたので、ここは一つ勉強しておこうって感じですか。

森巣 (・・・)まず最初にうかがいたいのは、姜さんの著書「ナショナリズム」のことです。というか、ぶっちゃけて言えば、このご本の内容を、通勤電車の車内でスポーツ紙を読むオッさんたちにも理解できるように語ってほしいのです。
 一冊分のダイジェストですか (p.30)



 という具合なので、そうとうに敷居が低くセッティングされており、ワシのように「ナショナリズムなにそれ」という程度の人間が読んでもそれなりに分かったような気にさせてくれます。
 「世の中にはこのような問題や、考え方があったのか」と目を開かせてくれる箇所が随所にありました。

寡黙なる巨人
2007年10月08日 (月) 17:37 | 編集
寡黙なる巨人 寡黙なる巨人
多田 富雄 (2007/07)
集英社

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 「寡黙なる巨人」(多田富雄/集英社)読了。

 著者の多田さんは高名な免疫学者です。
 2001年5月、突然脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、死線を彷徨った後、右半身完全麻痺や、舌や喉の麻痺による摂食障害や言語障害などの後遺症が残ってしまいました。
 本書はその凄まじい闘病記であり、現在の医療問題に対する告発の書でもあります。

 医師である多田さんは冷静に自分の病を分析し、

 私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して元に戻ることがないくらいのことは、良く理解していた。麻痺とともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得ない。(p.40)


 と述べます。
 その上で、過酷なリハビリの結果、ほんの少しでも機能が回復すると、このような考えがひらめくのです。

 もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩を踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴むんだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ。(p.40)

 多田さんは自分の中で新しく生れたその何者かを、本書のタイトルである「寡黙なる巨人」と呼ぶのです。

 新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱々しく鈍重だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた。(p.41)


 前半のリハビリの過程は、体験したものでなくては書けないリアリティで圧倒されます。
 麻痺や嚥下障害がどれほどの地獄の苦しみであるか、想像を絶するものがあります。
 患者の視点から、現在の医療制度(特に科学的なリハビリのシステム)に対する問題点も深く掘り下げられております。

 後半は、発作後六年間に新聞や雑誌に書いてきた随想をまとめたエッセイ集になってます。
 特に力を入れているのは、2006年に開始された障害者のリハビリを180日に制限する「診療報酬改定」に対する戦いです。

 こうして私の中に生れた「巨人」は、いつの間にか、政府と渡り合うまで育ってくれた。死ぬことばかり考えて、生きるのを恐れていたころとは違う。今は何も恐れるものはない。(p.242)


 健康に生きているだけでも幸せなのに、日々、不平不満ばかりの自分を深く反省しました。
天才になる!
2007年09月29日 (土) 22:24 | 編集
天才になる! (講談社現代新書) 天才になる! (講談社現代新書)
荒木 経惟 (1997/09)
講談社

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 「天才になる!」(荒木経惟/講談社現代新書)読了。

 天才アラーキーの自伝といっていいでしょう。
 少年時代から写真家として一本立ちするまでが、詳しく書かれてます。
 写真家・荒木経惟に写真評論家・飯沢耕太郎が行ったロングインタヴューをまとめたものだそうです。

 特別大ファンというわけではなく、気になる写真家の一人という感じで、断片的なエピソードをちょこっと知っているという程度だったのですが、ちゃんと系統だって読んでいくと、やはり凄い人だなーと思わされます。

 知らなかったことがいろいろ出てきて、それらにいちいち感心させられてしまう。
 特に学生時代の、写真雑誌への月例コンテスト。
 毎月入選し、賞金目当てのアルバイト感覚だったそうっす。
 その入選作が数枚載っているのが、貴重な資料でもあるでしょう。

 表現者は向こうなんだよ。表現しているのは被写体っていうことなんだ。だから向こうが表現しているものを複写すればいい。(p.123)


 おおっ、いいこと言うなー。
 結局、この感覚がすべてだとおもう。
 自分が光っている・自分の力で作品を作っているというんじゃなく、相手が光っている・相手の力で作品は成り立つのだ、という感覚。
 これは単なる謙虚さというのではなく、写真の本質であり、このことに意識的にならなければ、写真の世界では決して頂上は極められないと思う。

 アラーキーの面白いのは、こういう感覚に一方の足を置きつつ、片や自分のやっていることを「小説」になぞらえているところです。

 要するにオレにとっては、写真だからっていうことじゃなくて、何かを表現するときにいちばんかっこいい、粋なのは小説だっていう感じなんだ。それを文字でやるか、写真でやるかっていう違いだけっていうふうにオレはとらえているんだよ。(p.189)


 「小説」であるなら、それは、自分の内なるものの表現であり、「表現しているのは被写体」という主張とは矛盾するのでは
 と、揚げ足を取るのではなく、この不可解さというか複雑さが、アラーキーの作品世界を面白くしているのだろう・・・と考えてみるべきではないでしょうか。
 んー、無理やりこじつけてみると・・・、撮影中は「表現しているのは被写体」であり、写真をならべたりキャプションを付ける段階で「小説」へと変化していくのだろうか・・・なーんて。

 今までより真剣に、もう一度アラーキーの写真や写真集を見返してみるかという気持ちになりました。
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