こんな本を読みました。
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黒澤明の遺言
2012年05月04日 (金) 21:41 | 編集
黒澤明の遺言黒澤明の遺言
(2012/02/16)
都築 政昭

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 「黒澤明の遺言」(都築政昭/実業之日本社)読了。

 映画監督・黒澤明の発言を年代順にピックアップし、解説をつけたもの。

 見開き右側に黒澤明の言葉、左に解説で、非常にコンパクトです。

 じっくり読んでもよし、パラパラ拾い読みしてもよしという感じです。

 黒澤ファンにとっては特に目新しい記述はないですが、彼がどんなことを考えていたのかざっくりと知りたいという入門者にはちょうど良い本だと思います。

 

 無から創造できるはずがない、故に
 創造というのは記憶ですね。(p.26)


 

 映画は考えさせるようには出来ていない。
 感じさせるように出来ているのである。(p.66)



 黒澤監督は完ぺき主義者という印象が一般的で、たしかに、
 

 ものを創る人間で
 完全主義者でないやつがいるかよ。(p.116)


 という発言をしています、が、一方で、

 「登場人物が本当に生きた人間に描かれていたら、その人間たちが、それぞれの主張をするわけですね。予定したように話が進まないんです。川の流れのようにくねくな曲がるし。でも、そういう不思議な展開をしたところが、自然で、見ている方には大変面白い」(p.43)



 とも、語っていて、こういう完璧追求とある程度の偶然性を受け入れていくダイナミックさの融合が黒澤映画の魅力となっているのでしょう。

 脚本も、あらかじめプロットを決めるのではなく、最初から書き始めて、キャラクターをどんどん自由に動かしていくのだそうです。

 これを読むと、もう一度黒澤映画を観直したくなります。

永遠の0(ゼロ)
2012年04月05日 (木) 22:05 | 編集
永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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 「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹/講談社文庫)読了。

 終戦から60年目の夏、司法試験に落ち続けてぶらぶらしていた健太郎に、祖父の生涯を調べてほしいという依頼が舞い込みます。
 その祖父は太平洋戦争中、零戦のパイロットで、終戦の直前に特攻で命を落としたのだという。

 最初は会ったこともなく、親近感もない祖父の調査に気乗りしなかった健太郎。
 ですが、祖父を知る戦友たちの証言を集めながらその素顔に触れるにつれ、調査にのめりこんでゆく。

 生前を知る人々の証言で、今は亡き人物像を浮かび上がらせるという、「市民ケーン」的な手法で話が進みます。

 読んでいて、この健太郎が調査にのめりこむ過程と、読者の興味の深まりとが同期して、いつの間にか、ページを繰る手が止まらなくなります。

 歴史上の出来事として知っているつもりだった事柄が、生き残りの証言という生な形で提示され、全く違った戦争観を与えられます。
 小説なのかノンフィクションなのか、段々と境目が分からなくなってきます。

 戦争の悲惨はもちろんですが、一人の人間の人生と、その生きざまの波紋が周りに及ぼしてゆくドラマに、胸が一杯になります。
 評判のいい本であるとは知っていたのですが、これほどの威力とは全く予想外でした。

 正直、ラストは涙涙でした。

 感動と同時に、自分の生き方を振り返るいい機会にもなりました。

 作者は戦争の生き残りの言葉を使って、作戦の失敗の原因、責任をだれも取らないといういまだに蔓延る日本の問題なども、鋭く抉り出してみせ、ミクロとマクロの視点が物語に厚みを与えています。

 老若男女、すべての日本人に読んでいただきたい、名作です。

 と、ここまで書いてもまだ読むかどうか迷っている人、巻末に児玉清氏のすばらしい解説があるので、まずそれを読んでみてください。




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どちらとも言えません
2012年03月01日 (木) 21:52 | 編集
どちらとも言えませんどちらとも言えません
(2011/10)
奥田 英朗

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 「どちらとも言えません」(奥田英朗/文芸春秋)読了。

 直木賞作家、奥田英朗のスポーツエッセイ。

 雑誌「Number」723〜775号のうち奇数号、サッカーW杯臨時増刊号1〜4号に掲載されたもの。

 ユーモアにまぶされているが、どきりとするような核心をつく指摘を随所にしており、面白いだけでなく、読みごたえ十分です。
 外国と日本の比較が多いという印象です。

 そしてたいてい、だから日本(人)はだめなのだ、というちょっと卑屈というかネガティブな結論になりがち。

 日本人がサッカーが苦手なのは、「順番を守る国民性」に尽きるという話になり、日本以外の大半の国では順番など守らないといい、

 待っている奴には回ってこない。これが世界の常識なのだ。ゆえに、我らはボールの取り合いをする競技がとにかく苦手。ラグビーも、バスケットボールも、ホッケーも全部ダメ。もちろん体格の差もあろうが、それ以前に妨害行為にことのほか弱く、メンタル面で負けちゃっているのである。(p.107)


 …という風にぐんぐん筆が走っていく。

 スポーツの楽しみの一番目は、自分でプレーすること。
 二番目は観戦。
 そして、三番目は語ることだという。

 スポーツは、政治、経済、文化、あらゆる分野に多大な影響を及ぼすが、それは人々をいくらでも語らせる共有感があるからにほかならない。(p.234)






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耳を澄ませば世界は広がる
2011年11月30日 (水) 11:11 | 編集
耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)
(2011/08/17)
川畠 成道

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 「耳を澄ませば世界は広がる」(川畠成通/集英社新書)読了。

 著者はクラシック界の第一線で活躍する、ヴァイオリニストです。

 8歳のときに風邪薬の副作用による薬害で、視覚に障害を負いました。

 障害ゆえの練習の苦労や工夫なども書かれていますが、ことさらに悲劇を強調したり嘆いたり、それを乗り越えた自分を誇ったりするわけではありません。
 障害も含めて自分自身の個性だと受け入れている姿勢が感じられます。
 あるいは、内面の苦悩を表に出さないという美学なのかもしれませんが。

 一人のバイオリニストとして、生い立ち、音楽に対する姿勢、コンサートやCD録音時のエピソードやこだわりなどが率直に語られ、第一級の読ませるエッセイとなってます。

 「音楽」を「芸術」や「人生」に置き換えて読むこともできる、芸術論としても含蓄がある内容が詰まってます。

 人は視覚から八〜九割の「情報」を得ているといわれますが、「情報」とは誰かが作ったものであり、その「情報」に接している時が長くなるということは、その誰かと一緒にいる時間が長くなるということなのだという。
 川畠さんは視覚に障害があるため、普通に見えている人に比べ受ける情報量が限られる半面、「情報」から離れていられるのだそうです。
 「情報」に常に囲まれていれば、「自分の心の声を聞こうとしてもなかなか聞こえてはこない。」、「強く意識しなければ、情報から離れて自分の世界にいる時間を持つのは難しいとおもいます。」と述べられてます。

 演奏というものは、自分のアイデンティティーすべてが現れてきます。ですから、演奏家として、自分の世界を持つのは大事なことなのです。人より見えないということはハンディキャップと言えるのでしょうが、演奏家としては、そのことによって得るものも大きいと思っています。(p.17-18)



 同じ曲を繰り返し演奏するクラシック音楽の世界での究極の質問、「自分が演奏する意味はあるか?」に対する考察もあります。

 もしかすると作曲家本人も意図しなかったような曲の「命」のようなものがあって、まだ眠っているそうしたものを我々演奏家が引き出すことができるとしたら、それは最高の喜びだとおもいます。だからこそ、演奏家の個性が大切であり、同じ曲であっても色々な演奏家が弾く意味があるのです。(p.62)


 また、随所に散見される川畠さんの謙虚さが印象に残ります。
 良いものを作り続けている人は、やはり謙虚であるのです。

 自分の意図したものが相手に伝わっていないとすれば、なぜこの人はわかってくれないのだろうと思うよりは、それはもしかすると自分の伝え方にまだ不十分な点があるのではということを考えるようにしています。(p.15)



 たとえ「もうひとりの自分」がいても、自分が聞ける範囲にはどうしても限界があると私は思っています。考えきれない部分、聞こえていない部分というのは、もしかすると、自分が考えている、聞いているものの数倍あるかもしれない。他人の意見を聞くということは、自分には聞こえていないかもしれないものを人から聞く、ということではないでしょうか。(p.42-43)






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心を整える
2011年09月26日 (月) 21:52 | 編集
心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
(2011/03/17)
長谷部誠

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 「心を整える」(長谷部誠/幻冬舎)読了。

 長谷部誠という27歳のサッカー選手が、普段何を考え、どのように行動しているのか、「心を整える」という言葉をキーワードに書かれています。

 「心を整える。」
 なんの変哲もないタイトルなのですが、僕が伝えられることはこれに尽きます。
 これといった長所もなく、華麗な経歴もない僕がここまで生き残ってこられたスキルと概念です。読んでいただいた方に、何かひとつでもヒントや気づきがあれば嬉しいです。(p.10)


 読んでいて驚くというか感動するほどの、誠実さと真面目さが全編を貫いております。

 普通人の場合、自分が何をすべきか何が正しいのか十分わかっていても、それを実際の行動に移せないというパターンが大部分でしょう。
 10のうち6くらい正しい行動を取れたら、後はズルをしてもまぁ自分を許すというのが普通人だ。

 が、長谷部の場合、正しいと分かっていることは、万難を排して実行に移すという、度を越した真面目さがすごい。
 10のうち10、100のうち100、ズル0、という生き方。

 徹底的に正しい、正しすぎるという、この「すぎる」ことを自分に課して、そして今の彼がいる。

 長谷部の考え方や生活習慣だけでなく選手、監督、審判などとのピッチの外や中でのエピソードも興味深く読ませてくれるのですが、ワシの頭の中で本書を蒸留して後に残るエッセンスはこの強烈な「真面目」さに尽きます。
 「あなたもこれをしなさい」という本ではなく「僕はこうしてます」という本だからでしょうか。

 そもそも本書のジャンル分けとして「自己啓発本」というのは正しいのだろうか。
 それを読んで、自分も真似してみようとか、実生活に何か役立てるために読む本を「自己啓発本」というのでしょうが、本書を読んでいるとどうしても内容よりも、著者である長谷部のキャラクターがどんどん立ち上がってきて、エッセイというか自伝を読んだかのような余韻が残るのでした。
 ま、これはワシ一人の読後感なので。

 具体的な中身についてちょっと触れると、考え方が論理的で、どんなことにもちゃんと理屈がついているのが、いかにも近代サッカーの選手だなあと感心してしまいます。
 例えば、遅刻がいかに良くないかという理屈では。

 遅刻というのは、まわりにとっても、自分にとっても何もプラスを生み出さない。まず、遅刻というのは相手の時間を奪うことにつながる。20人で集まるとする。そこに僕が5分遅れたら、5分×20人で100分待たせることになる。それに、「彼は遅れるから、集合時間を(あらかじめ)早く設定しよう」ということにもなりかねない。そんな駆け引きはすごく不毛だ。だから僕は遅刻をする人を信頼できない。(p.144)


 長谷部誠はもっともっと偉大な選手になるだろう。




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犬の力
2011年08月30日 (火) 22:34 | 編集
犬の力 上 (角川文庫)犬の力 上 (角川文庫)
(2009/08/25)
ドン・ウィンズロウ

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 「犬の力」(ドン・ウィンズロウ/角川文庫)読了。

 「このミステリーがすごい2010年度版」海外編第一位だそうです。

 1975年から2004年に至る、約30年に及ぶ南北アメリカ大陸を舞台とした麻薬戦争を描く大長編です。

 もっとゆったりとした大河小説かと予想していたのですが、近代エンターテインメント小説の見本とでもいいますか、話の展開が早く、緊張の糸が張り詰めたまま、あっという間にラストまで疾走していきます。

 登場人物の数と物語の複雑さを考えると、このスピード感はいかにもすごい。

 人によっては、際限なく続く暴力、むき出しの欲望や裏切りなどの人間の醜さに辟易として、途中で放り投げてしまうかしれません。
 が、見ないふり見えないふりをしようとしまいと、こういう現実が世界にはあるということは理解しておかないと、いけないかもしれません。

 現実の歴史とフィクションを上手く混ぜ合わせてあり、書き手の上手さにとにかく舌を巻きます。





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Robert Doisneau Palm Springs 1960
2011年06月19日 (日) 21:35 | 編集
Robert Doisneau: Palm Springs 1960Robert Doisneau: Palm Springs 1960
(2010/09/07)
Robert Doisneau

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 「パーム・スプリングス 1960」(写真:ロベール・ドアノー/序文:Jean-Paul Dubois)
 ロベール・ドアノーの写真集です。

 「アサヒカメラ」の「今日の写真2011」っつーホンマタカシのコーナーで、堀江敏幸が持ち込んできたのがコレです。
 あまり読む人がいないページでしょうが・・・。

 ドアノーが1960年に頼まれ仕事でアメリカに渡り、カラーフィルムで撮影した幻の仕事が写真集に纏められたという貴重品です。
 前回書いた、「不完全なレンズで」の中でも、この時のエピソードが出てきます。

 写真集はかさばるし、あまり買わないようにしているのですが、これはまごまごしていると絶版になって後から後悔とかいうパターンを踏みそうなので、買ってしまいました。

 言葉の通じない土地で、ビジネスのための写真、しかもカラーという、ドアノーの白黒のパリしか見たことがない人間にとってはとてもに新鮮に映る写真群です。

 いやー、やはり上手い。

 どんなに条件が変わろうとも、やはりドアノーはドアノーであったという、滋味深い一冊です。




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不完全なレンズで
2011年06月01日 (水) 11:26 | 編集
不完全なレンズで―回想と肖像不完全なレンズで―回想と肖像
(2010/09/20)
ロベール ドアノー

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不完全なレンズで 回想と肖像」(ロベール・ドアノー/月曜社)読了。

 ロベール・ドアノーは言わずと知れたあのドアノー、素晴らしいスナップショットを数多く残したあの写真家のドアノーです。

 翻訳者が芥川賞作家、堀江敏幸というのも読みどころです。

 写真家ドアノーが自ら過去の様々なエピソードを語るという、自伝のようなものです。
 なぜ故、「ようなもの」などという中途半端な表現になるかっつーと、この文章が一筋縄ではいかない、独特の言い回し続出で、ユニークというか、詩的というか、とにかく、わかりやすく何かを説明しようという気が窺えないちょっと変わった旋律をもっているのです。
 地名や人名が何の断りもなく出てくるのは当たり前、時代も前後の脈絡も見失いがち。

 堀江さんのあとがきに、この本の出来上がりの過程が詳しく載っているので、まずはそちらを参照していただきたいです。

 とまぁ、なんだかんだ言っても、その長いキャリアから来る交際範囲の広さとエピソードの豊富さ、ただスナップを撮っていただけの爺さんだと思ったら大間違いの技術的蘊蓄など、読みどころ満載の内容なので、広く広くたくさんの人におすすめしたい本です。

 日本語版の制作者は、原書にはない注や写真をふんだんに入れて、なんとか読者の理解を助けようと努力しており、好感がもてます。

 分かりにくい文章とはいえ、やはりそこはドアノー、きらりと光る言葉がそこかしこに散見され、写真好きの心を鷲掴みにしてくれます。

 スナップショットの達人としての自分をバッサリとこう表現しています。

 この私は陰険な密漁者なのだ。(p.273)



 また、パリの郊外を撮った写真を人に見せた時の反応を、自虐的かつユーモアたっぷりに書いています。

 郊外地区のエキゾチスムや土地の人々の服装を見せようとしても、そういう絵はがきは、ほんのわずかしかなかった。だから、自分で撮影せざるをえなかったのだ。
 私はそれらを、郊外人たちにおずおずと見せた。目にしたのは、まったき関心の欠如だけだった。宝の発見者としての私の歓びは、ひとさまに伝わるようなものではなかったのである。(p.89-90)



 さらに、暗室作業についての記述も。

 ラボの光源に身を置くと、自分が犯した誤りについてじっくりと考えることができるのだ。
 それは、マスクを小刻みに動かし、露光を加減しながらおこなう一種の曲芸だが、最後の一枚を残してゴミ箱行きとなった印画紙の量の半端なさから考えると、ケチくさい人々にはおすすめできない作業である。(p.268-269)



 この有名なピカソの写真を撮った時の話も出てきます。
 写真自体の知名度があまりにも高い一方で、撮影者が誰だか知らなかったという人も多いでしょう。
ピカソ-ドアノー

 すばらしく機嫌がよさそうだったので、思い切って、彼の皿の両側にパンをひとつずつ置いてみた。望んだとおりのしぐさをしてくれた、テーブルぎりぎりに両腕を置き、その先にパンがあるような格好をして。(p.168)





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決定力を鍛える
2011年03月10日 (木) 22:11 | 編集
決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣
(2007/11)
ガルリ カスパロフ

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 「決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣」(ガルリ・カスパロフ/日本放送出版協会)読了。

 著者のカスパロフは1963年生まれ。
 22歳でチェス世界チャンピオンとなり、15年にわたってタイトルを保持した、史上最強といわれるチェスプレイヤーだそうです。
 IBMのスーパーコンピューター〈ディープ・ブルー〉と対戦したことでも話題となりました。
 現在はロシアで政治家に転身だそうです。

 第一部では、基本となる要素、意思決定につながる必須の能力と技術に注目する。戦略、読み、準備――そういった不可欠な要素を理解し、自分の中に見出さなくてはならない。第二部は評価と分析の段階である。必要とされるのはいかなる変化であり、それはなぜなのか? ここでは自己探求の手法と利点がわかるだろう。第三部では、以上のことを総合して能力を向上させる巧みな方法を吟味する。真理と直観はあらゆる点で人間の決断とその結果に影響をおよぼす。私たちは大局的な見地に立ち、危機に対処し、そこから学ぶ能力を開発しなければならない。(p.15-16)



 カスパロフ本人の過去の対戦の過程を分析しながら、チェスの対戦を通して培われた考え方や戦略が、いかにチェス以外の分野で応用できるかが書かれています。
 引用される戦史や警句など、非常に幅広い知識に驚かされます。
 逆に考えると、チェスで勝つためにはこれだけの教養も必要になってくるということでもあります。

「攻撃に欠かせない第一の要素は攻撃する意志だ」 サヴィエリ・タルタコワ
「今日、人はあらゆるものの値段を知っているが、いかなるものの価値も知らない」 オスカー・ワイルド
「成功したければ、失敗の確率を二倍にふやせ」 トーマス・ワトソン
「脅しはその実行より強力だ」 アーロン・ニムツォヴィチ
「必要なときが来るまで決断するな」 マーガレット・サッチャー



 ちなみに英語の原題は「How Life Imitates Chess」です。
 チェスの知識がまるでない人にもとても得るものの多い内容となってます。




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北野武による「たけし」
2011年02月12日 (土) 22:05 | 編集
Kitano par Kitano 北野武による「たけし」Kitano par Kitano 北野武による「たけし」
(2010/07/07)
北野武、ミシェル・テマン 他

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 『北野武による「たけし」』(北野武 ミシェル・テマン/早川書房)読了。

 フランスの日刊紙リベラシオンの記者であるミシェル・テマン氏が、四年近くのあいだに四十数回の会合をおこなったという、インタビュー集です。
 先にフランスで出版されたものの、翻訳です。

 日本語→フランス語→日本語、という二回の翻訳の結果、多少違和感のあるしゃべり口調ですが、北野武氏に多少でも興味のある人ならば必読の、中身の濃い書物でしょう。

 自分の生い立ちから、自ら監督した映画一本一本の解説、好きな映画監督について、美術について、アフリカとの関わり(身銭を切った援助)など、非常に興味深い内容です。

 『デルス・ウザーラ』が俺にとっちゃ、黒澤映画の最高の作品。映像は崇高で、自然のシーンがそれは見事に描かれてるの。(p.225)


 この「デルス・ウザーラ」、最近読んだ堀江敏幸の「おぱらばん」の中の一編に出てくるのです。
 実は黒澤明はほとんど観ているはずなのに、なぜかこれだけは未見なのでした。
 この奇妙なシンクロニシティーはなんなのか?
 今観ておくべき映画という啓示でしょうか。
 本書とは関係ない部分で妙に気になるのでした。



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恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?
2010年11月06日 (土) 22:05 | 編集
恐れるな!  なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21)恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21)
(2010/10/09)
イビチャ・オシム

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 「恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?」(イビチャ・オシム/角川oneテーマ21)読了。

 2010年ワールドカップ南アフリカ大会前に出た新書、「考えよ!」(http://t104.blog72.fc2.com/blog-date-20100616.html)の続編です。

 2010ワールドカップの総括(日本の戦った全試合と主要な試合の分析)と、2014年ブラジル大会に向けた展望です。
 読んでいると、大会中の興奮が蘇ります。

 オシムの主張は前著から全くぶれることなく、ようは「リスクを恐れるな」ということに尽きる感じです。
 結局のところ、常に話はここに戻って来て、ある時はサッカーを越えて日本人論、教育論、文化論の風を帯びてきます。

 「日本人は総じてプレーにおける責任感に欠けている。まるで疫病から逃げるようにして責任から遠ざかる。」と書いた後で、さらにこういう文章が続きます。

 矛盾しているようだが、本来は、日本人には責任感があるのだ。責任感の強いプレーが日本の強みのひとつである。しかしながら、この責任感というものを強調しすぎてはいけない。一部の日本人選手たちは、大きすぎる責任のためにリスクを少ししか負わないからだ。責任感の強すぎる選手は、リスクを全く負わなくなるのだ。
 (略)
 日本人は一般的に、失敗する恐怖が、プレシャーとなり重荷となっている。繰り返すが、それは、学校生活、社会生活、そしてサッカーにおいて抱く恐れである。(p.67)


 まるで、自分のことを言われているようで、しゅんとしてしまう人も多いのではないですか。

 この本の一番の驚きは、最後の数ページでした。
 オシムはリハビリを続けながら、息子の監督しているチームの練習をよく見にいくのだという。
 そして、こう言うのです。

 叶うならば再びベンチに座りたい。(p.208)


 もう一度監督をしたいというのです。
 人にリスクを冒せという以上、自分の人生においてもリスクを冒さなくてはならないのだという。
 いやはや、凄い人です。


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マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと
2010年11月04日 (木) 22:03 | 編集
マーリー―世界一おバカな犬が教えてくれたこと (ハヤカワ文庫NF)マーリー―世界一おバカな犬が教えてくれたこと (ハヤカワ文庫NF)
(2009/03/05)
ジョン グローガン

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  「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」(ジョン・グローガン/ハヤカワ文庫)読了。

 「マーリー」はちょっとおバカなラブラドール・レトリーバー、レゲエのスーパースターにちなんで命名されました。
 新婚のジョンとジェニーが、マーリーを飼い始めてから看取るまでの13年間を綴ったエッセイです。
 全米大ベストセラーで映画化もされました。

 本書の中で著者がマーリーを飼い始めてから調べて知るのですが、ラブラドール・レトリーバーには比較的小さめで従順なイギリス系と、体が大きくエネルギーに満ちたアメリカ系の二系統あり、知らずに買ったとはいえ、どうやらマーリーはアメリカ系だったらしいのです。

 そのアメリカ系のなかでも、体重45キロ超で特別に活発な犬がマーリーだったのですな。
 やらかすことは、犬を飼ったことのある人ならだれにでも心当たりがあるようなこと(リードを引っ張ったり、人間の食べ物をくすねたり、家具をかじったり、口に入るものは何でも食べちゃったり・・・)がほとんどなのですが、体がでかいのと力が強いのとで、通常より被害が甚大になるのでした。

 時は移り、グローガン夫妻は三人の子供に恵まれます。
 おバカなはずのマーリーなのに子どもにはぜったに逆らわないし、赤ちゃんのそばに静かに守るように寄り添うという忠誠心も示します。
 一度退学となったしつけ教室にも再挑戦、見事卒業し、それほどバカでもないような。

 犬のマーリーが主役であることは間違いないのですが、家族の問題、特に著者と妻との間の問題もきちんと描かれていて、著者の文学的決意のようなものも感じ取れる作品となってます。
 単なる馬鹿犬の話を面白おかしく書いただけ、というような浅いものではなく、人と犬との関わり、未熟だった夫婦の成長の物語としてキッチリ成立しています。

 後半、老いて衰えていくマーリーとの触れ合いや、愛犬への思いを綴った文章には、犬を飼ったことのない人ですらほろりとさせられるでしょう。
 犬はその短い寿命で、生まれてから死ぬまでの一生を人間に見せ、命のなんたるかを教えてくれるのだ、といいますが、まさにグローガン家の人々はマーリーからさまざまなことを学ぶのです。

 常識はずれな考えかもしれないけれど、マーリーを失ってみてはじめて、すっかり合点がいったことがある。マーリーは良き師(メンター)だったのだ。教師であり、手本だったのだ。犬が・・・(略)・・・人生において本当に大切なのはなんなのかを、身をもって人間に示すなんて、できるのだろうか? 答えはイエスだと僕は信じている。忠誠心。勇気。献身的愛情。純粋さ。喜び。そしてまた、マーリーは大切でないものも示してくれた。犬は高級車も大邸宅もブランド服も必要としない。ステータスシンボルなど無用だ。びしょぬれの棒切れ一本あれば幸福なのだ。犬は肌の色や宗教や階級ではなく、中身で相手を判断する。金持ちか貧乏か、学歴があるかないか、賢いか愚かか、そんなことは気にしない。こちらが心を開けば、向こうも心を開いてくれる。それは簡単なことなのに、にもかかわらず、人間は犬よりもはるかに賢く高等な生き物でありながら、本当に大切なものとそうでないものとをうまく区別できないでいる。(p.423-424)



 これを読むと自分も犬を飼いたくなるかもしれません。
 なかなかに危険な一冊ともうせましょう。



 映画化されました。
マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと (特別編) [DVD]マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと (特別編) [DVD]
(2010/06/25)
オーウェン・ウィルソン、ジェニファー・アニストン 他

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15歳の東京大空襲
2010年07月18日 (日) 21:20 | 編集
15歳の東京大空襲 (ちくまプリマー新書)15歳の東京大空襲 (ちくまプリマー新書)
(2010/02/10)
半藤 一利

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 「15歳の東京大空襲」(半藤一利/ちくまプリマー新書)読了。

 数々の昭和歴史関連の著作を書いている作者が、若者向けに自身の戦争体験を綴っています。

 昭和16年(著者・国民学校五年生)の真珠湾攻撃から20年の終戦まで。

 東京は下町の向島区(現墨田区)生まれの、勉強よりも遊ぶことが大好きの悪ガキであった少年が、どんどん生活が窮屈になり、殺伐となっていく戦時下をどうやって生きぬき、何を考え、何を悩み、何に喜び、何を悲しんだか、のお話なんです。(p.17-18)



 開戦当初は割とのんびりとしていた世の中が、どんどん厳しい状況になってゆく。
 通学の途中で目にした光景など、体験者でなければ書けない描写が随所に見られます。

 そして、とうとう題名になっている東京大空襲がやってきます。
 新しく日本本土爆撃の総指揮官になった、カーチス・ルメイ少将は、ドレスデン空爆に強く影響され、軍事工場の破壊優先から「焼夷弾による都市攻撃」優先に作戦を変更しようと決断したのだという。
 当時の半藤少年の視点だけでなく、このような後年判明した日米両国の史実も挿入されていて、時代の流れを分かりやすく書いていらっしゃいます。

 昭和二十年三月十日、三百機以上の爆撃機が東京の下町の家屋密集地帯を爆撃しました。
 降りそそぐ爆弾の下、九死に一生を得た半藤少年の体験は、凄まじいものでした。

 とにかくものすごく強く北風が吹いていました。風にあおられた火の塊が、街から街へ、荒れ狂って飛んできます。それに真っ黒な煙のうず巻き。いわば道路は人と煙の洪水なのです。何十本もの火焔放射器でもしかけたように、ものすごい火の塊が地面を吹きとばされてころがってくる、空からかぶさってくる。(p.156)



 半藤少年は、必死で川岸の小さな広場に辿り着きます。
 火の勢いはすさまじく、小さな広場など無きに等しく、火の塊と煙が襲いかかってきます。

 それは凄惨この上なく、正に地獄の劫火でした。逃げ場を失って地に身を伏せる人間は、瞬時にして、乾燥しきったイモ俵に火がつくようにして燃え上がる。髪の毛は火のついたかんな屑のようでありました。背後を焼かれ押されて人々がぼろぼろと川に落ちていく。(p.157)



 戦争の真の恐ろしさを体験した半藤さんは、これからの人間はどのように行動すべきか、こう考えるようになりました。

 自分たちの生活のなかから “平和” に反するような行動原理を徹底的に駆逐すること、そのことにつきます。何よりも人間を尊重し、生きていることの重みをいつくしむこと、それ以外に戦争をとめる最良の行動はありません。ふだんの努力をそこにおくのです。はじまってしまってはそれまでです。はじまる前にいつもそのことを考えているべきなのです。(p.163)




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考えよ! なぜ日本人はリスクを冒さないのか?
2010年06月16日 (水) 21:37 | 編集
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
(2010/04/10)
イビチャ・オシム

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 「考えよ! なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」(イビチャ・オシム/角川oneテーマ21)読了。

 前サッカー日本代表監督で、脳梗塞で倒れたため岡田氏に監督の座を譲った、イビチャ・オシム氏の著書です。

 今年2010年4月の初版発行で、ワールドカップ南アフリカ大会を前に緊急出版という感じでしょうか。
 現在の日本代表チームの課題や、相手チームの分析など実に的確で参考になります。

 外国人から見た日本人論として読んでも、実に立派な展開であります。

 日本では、長年にわたって失敗に対し罰を与えるような教育システムになっているように思える。そういう社会性が、ある意味、サッカーでは悪い方向に作用する。
 「失敗して罰を受けるならば何もトライしたくない」という深層心理が消極的な姿勢につながるのである。「日本人には責任感がない」とは決して言えない。日本人のメンタリティの問題は「責任感がない」のではなく、その責任感に自分で限界を作ってしまうことではないか。自分で勝手に仕事の範疇を決めてしまい、それを達成すると、「後は自分の責任ではない」と考える。(p.93-94)



 選手についてのコメントも、監督をやった人間ならではのものです。
 例えば中村俊輔についてはこのように書きます(この文章の前後では絶賛と言えるほど褒めているのですが…)。

 中村俊輔は、決闘を好み勝負するプレーヤーではない。私が代表監督のときは、危険な存在になるように、いつも「前へいけ!」と言い続けていた。しかし、彼は、不思議なことにさらに下がった。(p.130)


 なぜ「走らないと駄目」なのかだとか、「日本のサッカーを日本化する」などという謎めいた言葉の意味だとかが、詳しく解説されているので、いままで「オシムは何を言いたいのか分からん」と感じていた人にはよいテキストになるでしょう。

 言い回しが複雑というか、ひねくれているというか、ユーモアなのか、とにかく言葉尻を捉えて、矛盾していることを発言しているように受け取られることも多い人ですが、このようにまとまった文章をちゃんと読めば、いかに筋の通った思考の持ち主であるかがわかろうというものです。

 A と B を考えつつ C をするというような、いくつもの事柄を並行して処理する能力を求めるというのが、オシム氏の持ち味のように感じます。
 そしてそれは実際、サッカーに限らず人生の様々な局面で求められる能力でもあるでしょう。

 本書を一読しておけば、ワールドカップの楽しさが数倍増すのではないでしょうか。


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わたしの病院、犬がくるの
2010年03月13日 (土) 21:05 | 編集
わたしの病院、犬がくるの (いのちのえほん) (いのちのえほん 21)わたしの病院、犬がくるの (いのちのえほん) (いのちのえほん 21)
(2009/11/14)
大塚 敦子

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 「わたしの病院、犬がくるの」(大塚敦子/岩崎書店)。

 「いのちのえほん」というシリーズのうちの一冊ですが、写真集(しゃしんえほん)です。
 写真と文は写真家の大塚敦子さんです。

 舞台は、聖路加国際病院の小児病棟。

 幼くして長期の入院治療を強いられている子どもたちと彼らを訪問してくるセラピー犬とのふれあいや、子どもたちの病院内での日々の暮らしぶりが、優しい視線の写真と文章で綴られています。

 これを観ていると、写真の持つ情報量の凄さ、力、を感ぜずにはいられません。

 子供たちの表情や、その場の雰囲気、院内の設備など、文章だけであったなら、どれほど事細かに書かれていても、結局は分かったようなつもり、というレベルの理解しかできないでしょう。

 しかし、写真であれば、正に百聞は一見にしかず、です。
 この子どもたちの表情たるや、文字で伝えるのは絶対不可能でありましょう。

 小さな子どもでも読める「しゃしんえほん」ですが、最後に小児病棟とセラピー犬について理解を深められるような文章が掲載されています。

 毎日、同じ医者、同じ看護師さん、同じ保育士さんがいる病棟に犬がやってくるだけで、「面白いね」と話題になり、病棟は活性化します。最初に犬がきたときに子どもたちが大喜びしたことは今でも忘れられません。
 犬は、どんなことを言っても「そうですよね」と寄り添って聞いてくれるように思える顔をしています。つらくて悲しいときだけでなく、うれしくてしかたがないときも、こちらと一緒に悲しんでくれたり喜んでくれたりするような動物です。だからこそ、死を前にした子どもにとって救いになった例もあります。(p.41)



 犬というのはやっぱり、人間にとってちょっと特別な動物という気がします。


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勇気ってなんだろう
2010年02月24日 (水) 21:22 | 編集
勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)勇気ってなんだろう (岩波ジュニア新書)
(2009/11/21)
江川 紹子

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 「勇気ってなんだろう」(江川紹子/岩波ジュニア新書)読了。

 他の人たちの発言や行動を聞いたり見たりして、「どうしたらこんなに勇気があるんだろう」とか「この人の勇気を私も少し分けてもらいたい」と思ったりすることが、よくあります。
 それで私は、その勇気に感銘を受けた人たちに、思い切って直接聞いてみることにしました。(はじめに)


 困難に直面しても、自分の信念を貫いたり、自分の失敗を素直に認めて人生をやり直したりした人たちに、江川紹子さんが話を聞いてきました。

 登山家、野口健さん。
 元国会議員、山本譲司さん。
 弟が北朝鮮に拉致された、蓮池透さん。
 現役警官だったときに、警察内部の裏金を実名で告発した、仙波敏郎さん。
 イラクで人質となり激しいバッシングを受けた、高遠菜穂子さん。
 イスラエルで占領政策に反対し、兵役を拒否したり、占領地の非人道的な実態を告発したりしている人たちにも直接取材されてます。

 新聞やテレビで報道されている表面の裏側に、いかに奥深い人間のドラマがあることか。

 自分の良心に従って生きるということは、何と難しいことなのでしょうか。

 自分なら本書に出てくるような局面で、どのように行動するだろうか・・・?

 岩波ジュニア新書ということで、中高生向に向けて書かれておりますが、大人にもぜひとも読んでもらいたい内容となってます。


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暴走族だった僕が大統領シェフになるまで
2010年02月07日 (日) 21:39 | 編集
暴走族だった僕が大統領シェフになるまで暴走族だった僕が大統領シェフになるまで
(2009/09/19)
山本 秀正

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 「暴走族だった僕が大統領シェフになるまで」(山本秀正/新潮社)読了。

 大学に三日しか行かず中退し、特にやりたいことも思いつかない若者が、料理の勉強をして、アメリカで料理人として成功するというサクセスストーリーです。

 レーガン大統領のパーティーを取り仕切った日から遡って、ほんの10年前、僕は大学に三日しか通わず、湘南の海でサーフィンにうつつを抜かしていた。
 その三年前には、暴走族の一員だった。今は俳優として活躍されている舘ひろしさんや岩城滉一さんと知り合い、バイクを疾走させて得意になっていたのである。
 こんな男が、リッツ・カールトンの総料理長になるなんて、誰も想像できるはずがないではないか。(p.34)



 著者は、父親から料理人になるように命令され、仕方なくその世界に入っていくのですが、料理人の素質があったというべきか、子供のころから食に対する感性はちょっと変わってました。

 友達は、お小遣いをもらうと駄菓子屋さんへ走り、舌がピンクに染まる梅ジャムや、当たりくじ付きのガム、酢漬けイカなどを喜んで食べていたが、僕は10円もらったら迷わず八百屋さんへ行って、キュウリを買い、塩や味噌をつけてもらって丸かじりした。
 駄菓子よりもキュウリのほうがよほど美味しいと思ったのだ。(p.37)



 1956年、東京生まれ。
 イタリアの国立料理学校を卒業後、フランス料理の巨匠ロジェ・ヴェルジェの世界的な名店『ル・ムーラン・ドゥ・ムージャン』で働いたのち、24歳で帰国してすぐ六本木の「ボルサリーノ」でメインシェフとなります。
 やはり実力があったのか、チャレンジ精神も旺盛で、ビバリーヒルズで新たに開店するレストランからの誘いを受け渡米、その後、『ザ・リッツ・カールトン ワシントンD.C.』の総料理長として引き抜かれます。

 『ザ・リッツ・カールトン ワシントンD.C.』の総料理長に着任して3ヶ月後、若干28歳で、アメリカ合衆国第40代大統領、ロナルド・レーガンの就任パーティーで250名の招待客へコース料理を供しました。

 ワシントンでの10年の後ちょっと省略して、2005年帰国。
 『マンダリンオリエンタル東京』初代総料理長に就任し、ホテル内の五つのレストランのうち三つが星を獲得。

 ・・・とまぁ、凄い人生なのです。

 著者の人生が興味深いだけでなく、ホテル経営の裏側や、有名人とのエピソード、料理のちょっとしたトリビアなど、読みどころが多く、非常に面白かったです。


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作家の犬
2010年01月30日 (土) 21:02 | 編集
作家の犬 (コロナ・ブックス)作家の犬 (コロナ・ブックス)
(2007/06)
コロナブックス編集部

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 「作家の犬」(コロナブックス/平凡社)読了。

 犬と共に暮らした作家たちのエピソード集です。

 志賀直哉、菊池寛、川端康成などの文豪から、黒澤明、久世光彦、等々、それぞれの個性的な愛犬家ぶりが紹介されています。

 各作家の小文と関係者の証言がコンパクトにまとまっており、サクサク読み進められます。
 犬と一緒に写っている写真は、どれも楽しそうだったりリラックスしていたりで、幸せそうです。

 どこを切っても、愛情あふれると言いますか、微笑ましいと言いますか、作家たちの犬バカぶりが楽しめます。
 
 檀一雄の「愛犬記」からの引用によると、

 犬どもの餌のつもりで洗面器に盛ってある雑炊を、小弥太やフミが喰べているかと思うと、当の小弥太やフミの皿に盛ってある雑炊を忽ちにして彼らが喰い尽くしてしまっている。(p.58)


 というありさまで、笑えます。
 この欄では、当事者の檀ふみが一文を寄せています。

 また、時代を感じさせる話もあります。
 中野重治の家では、犬に紐など付けずに飼っていて、たまにいなくなってしまう犬・チャイを飼っていました。

 優しい犬で、私はチャイの背中に玩具を背負わせるなどして兄妹のように過ごしていましたが、ある時突然いなくなってしまいました。当時、母は私に「チャイは帰って来なくなった」と説明しましたが、実情は、戦争が激しくなるにつれて犬を飼う余裕がなくなり、処分したのだと、ある年齢になって知りました。(p.40-41)



 一番最後には、「犬の名作ブックガイド」なんてうコーナーまであって、片っぱしから読んでみたくなっちゃいます。



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邂逅の森
2010年01月17日 (日) 15:55 | 編集
邂逅の森 (文春文庫)邂逅の森 (文春文庫)
(2006/12)
熊谷 達也

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 「邂逅の森」(熊谷達也/文春文庫)読了。

 物語は大正三年の冬から始まります。

 主人公・松橋富治は秋田の貧しい小作農の次男坊で、マタギを生業として暮らしていました。

 マタギというのは、夏場は農業などをして、冬は山中に入り、熊やカモシカなどの猟をする人々のことです。
 山の神々への敬虔な信仰を持ち、古い伝統を守りながら猟を行います。
 獲物さえ獲れればよいという近代的装備のハンターとは違う種類の人々なのです。

 富治は単なる職業というレベルを超えて、マタギを生き甲斐とする男なのでした。
 しかし、偶然知り合った地主の一人娘と恋に落ちてしまい、地主の逆鱗に触れ、村を追放されると同時にマタギ仕事も取り上げられてしまいます。
 ほとんど強制的に鉱山で働かされるものの、マタギ仕事の魅力が忘れられずまた山に帰ってゆき、そして・・・。


 直木賞、山本周五郎賞をダブル受賞という話題性で題名だけは記憶にあり、とりあえず買ったもののそれっきり積読状態だったのですが、ようやくしっかりした本を読みたい気分が巡って来て、読んでみました。

 なんでもっと早く読まなかったのでしょうか。
 もの凄い傑作でした。
 重たいとか読みにくいとかいうことは全くないので、ご安心ください。
 ちょうど冬の季節に読んだというのも良かったです。
 完全に物語の中に引きずり込まれました。

 特に最後の数ページは体中の血が逆流するような興奮を非常に久々に味わいました。

 全く予備知識のない世界が描かれているにもかかわらず、これだけ物語の中に入り込めてしまうという事はは、この作品がいかに高い完成度であるかっつーことでしょう。

 大自然の中での圧倒的迫力の狩猟シーンと、里に降りてきた時の庶民としての生活のコントラストが素晴らしい。
 普段はごく普通に悩みもあれば欲もある人間が、山に入るとすーっと変わるのです。
 自然と人間の関わり方の、昔の人は知っていたのに現代人は忘れてしまっている何かを知るヒントが隠されている気がします。

 他人や自然の力で翻弄され揉みくちゃにされながらも、なんとか最善の方法を探し、運命を切り開いてゆく富治の生き方に、多くの人は共感できるでしょう。
 あるいは、もっと大げさに言えば、本を読んでいる間は富治になりきって彼の人生を体験することになるでしょう。

 これから先の人生で行き詰ったときに繰り返し読みたい、傑作でありました。


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はじめて考えるときのように
2009年12月20日 (日) 21:38 | 編集
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
(2004/08)
野矢 茂樹

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 「はじめて考えるときのように」(文・野矢茂樹 絵・植田真/PHPエディターズ・グループ)読了。

 副題は “「わかる」ための哲学的道案内” とあります。
 無理やり分類すれば、哲学入門のような本ですが、全く堅苦しさはありません。

 「考える」とはどういうことなのか、小さな子供に説明できるでしょうか?
 ワシらは皆、常になにがしかを考えながら生活しているのでしょうが、「考える」ということそれ自体について考えたことってないでありましょう。

 普段、無意識に当たり前のようにしている事なのですが、改めて問い直し分析してみると、「考える」ってどういうことなのか、大の大人のこのワシにはよく分かっていなかった、という事実を突き付けられてしまうのでした。

 特に、人間は頭の「中」で考えているのではない、という指摘にはハッとさせられました。

 考えるということは、実は頭とか脳とかでやることじゃない。手で考えたり、紙の上で考えたり、冷蔵庫の中身を手にもって考えたりする。これがひとつ。(p.152)

 どうも「考え」っていうのは、まず最初は「内側」で生まれて、次にそれをことばにのせて「外に」伝えるものと思われがちのようだ。そして、ことばにのせないでとどめておかれると「内に秘めた考え」とか言われる。
 でも、ぜんぜんそういうものじゃないと僕は思う。(p.158)



 例えば、暗算。
 筆算ができて初めて暗算ができるようになる。
 暗算が先などという人はいないと筆者は指摘します。

 じっさいに目の前のもので手を使って操作できるひとだけが、イメージの中でも操作できるようになる。(p.155)



 文章がやさしく、説明を急がないので、読んでいるうちに作者の言わんとすることがだんだん分かってくるという流れがとても気持ち良いです。
 中学生くらいから十分に理解できる文章でしょう。

 一見当たり前で見向きもしないようなことを、あーだこーだと分析している本書のようなやさしい哲学書っつーのは、若い人でも年取った人でも、これを読むと、脳みその基礎体力が上がるんじゃないでしょうか。


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