こんな本を読みました。
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こころの声を聴く
2018年11月12日 (月) 23:40 | 編集
 河合隼雄さんの対談集「こころの声を聴く」を読み始めました。

 対談相手として、村上春樹、多田富雄、白洲正子、安部公房など面白そうな顔ぶれがそろっていて楽しみなのですが、今のところ河合さん自身が書いたまえがきを読んだだけっす。

 それでも、付箋を三か所も付けてしまった。

 河合さん本人が自分の対談について分析している箇所が、なるほどと思わせます。
 臨床心理士という、人と一対一で話し合うのが職業なので、

 相手の世界に対して可能なかぎり自分を開き、自分の人格を失ってしまうほどのぎりぎりの線まで、相手の世界を許容する。ほとんど自分の人格を消し去るほどの態度をとりながら、最後のところで一人の人間であることを失わない、(p.18)



 という会い方をしているのだそうです。
 だから、

 初対面の方が、自分でも驚かれるほど一挙に深い話にはいってゆかれるのである。(p.18)



 という状態になるのです。

 河合さんの対談の面白さ、深さの秘密を知ったような気がします。

 さらに、河合さんのよく使うキーワードの一つ「物語」という言葉の捉え方もなるほどと腑に落ちる一文がありました。

 河合さんと相談室で相対する人は、自分の心の中の未整理の物事を次々に投げ出してくるのだそうです。

 そうしながら、それらを二人で整理してゆく。整理ができるということは、それら雑多の内容が「物語」としての形をそなえてくることなのだ。(p.20)



 河合さんの使う「物語」という言葉のニュアンスの、ワシにはいまひとつよく解っていなかったなにものかが少し腑に落ちてきた気がします。




こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)
(1997/12/24)
河合 隼雄、安部 公房 他

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ジェノサイド 上 (角川文庫)
2016年12月20日 (火) 17:11 | 編集
 「ジェノサイド」(高野和明/角川文庫)読了。

 同じ作者の「グレイヴディッガー」を以前読んだことがあり、面白かったのですが、今作も非常によく出来てました。

 思わせぶりにならないスピード感と、世界を股にかけた圧倒的スケール感。

 アメリカの情報機関が察知した“人類絶滅の危機”の謎が前半割と早い時期に判明します。

 それを踏まえて、そこからの展開がすごい。

 アメリカの政府内部の動き、アフリカに派遣された傭兵たちの戦い、日本での新薬の開発の話が並行して、互いに見事に絡み合いながら物語は進みます。


ジェノサイド 上 (角川文庫)ジェノサイド 上 (角川文庫)
(2013/12/25)
高野 和明

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失われた宇宙の旅2001
2016年01月14日 (木) 23:30 | 編集
 「失われた宇宙の旅2001」(アーサー・C・クラーク/ハヤカワ文庫SF)読了。

 スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の制作過程の裏話と没になった小説原稿をまとめた、非常に興味深い本でした。

 コンピューターHALは当初ロボットとして構想されていたとか、人類と遭遇するのはモノリスではなく、人型のエイリアンだったとか。

 ただ「こういう話もあった」だけではなく、映画のたたき台としてまた小説版の原稿として書かれ、最終的に没になった小説原稿が載っているのが衝撃的です。

 リドリー・スコットの「プロメテウス」に出てくる真っ白くのっぺりとした巨人エイリアンのイメージが、〈月を見るもの〉に道具の使い方を教えるエイリアンに妙にダブってしまいます。
 そもそも、大昔に人類に文明を授けた異星人が、宇宙に飛び出せるまでになった人類を呼び寄せるという骨格が、恐ろしく似ているように思いました。

 この映画製作時点では、技術的、予算的、デザイン的制約から実現できなかったことが、CGの進歩で出来るようになったということか。

 とにかく、映画では尻切れトンボになっていた結末の先が、どのように構想されていたのかが、しつこいくらいたっぷり描写されているので、映画で描かれたディスカバリー号の木星への遠征の意味がやっと腑に落ちました。

 われわれが最後に見つけた結末は、いまではこれしかないという気がしているが、ここへ行き着くまでには、何カ月もかけて不思議な世界や都市や生物を空想し、どうしたら観客の認識力に狙い通りのショックを与えられるかと、いろいろ頭をひねったものである。(p.317)





失われた宇宙の旅2001 (ハヤカワ文庫SF)失われた宇宙の旅2001 (ハヤカワ文庫SF)
(2000/04)
アーサー・C. クラーク、伊藤 典夫 他

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アンリ・カルティエ=ブレッソン (「知の再発見」双書)
2014年12月10日 (水) 23:36 | 編集
アンリ・カルティエ=ブレッソン (「知の再発見」双書)アンリ・カルティエ=ブレッソン (「知の再発見」双書)
(2009/04/14)
クレマン・シェルー

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 「アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 20世紀最大の写真家」(クレマン・シェルー/創元社「知の再発見」双書)読了。

 連続してブレッソンです。

 彼の生涯について詳しく知りたくなったので、これも読んでみました。

 写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの生涯が豊富な資料とともにコンパクトにまとめられています。

 ブレッソンの写真の成り立ちに重要な影響を及ぼしたのは、若き日に関わったシュルレアリスムなのだという。
 彼の写真を見ていると構図の完璧さのなかに、どこか地に足がついていないような不思議な感覚があるのを常々感じており、その謎がやっと解けたと思いました。

 こうしたシュルレアリストたちとの交際は、若きカルティエ=ブレッソンに大きな影響をおよぼすことになる。彼はシュルレアリスムから、直観、不服従、偶然、めぐりあわせ、そしてとくに、実際の体験、つまり人生そのものを楽しむ姿勢を学んだのである。(p.22)



 また、有名な「サン=ラザール駅裏」(本書の表紙の写真)が本格的に写真を撮り始めた直後、なんと初めてライカを買った年(1932年)に撮られていた、というのも意外な驚きでした。


 もっとも軽蔑している人物は? という質問にこう答えています。

 「軽蔑というものの存在を信じていない。人を軽蔑してはならない。そのように行動する理由を理解するように努めるべきだ。」(p.143)


 彼の人柄をよく表している言葉ではないでしょうか。


 本書の中には単なる作例としての写真作品の他に、ブレッソンの撮影した写真が雑誌等でどのように使われたのかも紹介されております。
 額縁に入ったかしこまった「作品」とは違った息遣いが聞こえてきます。

IMG_3797.jpg





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異星人の郷 下巻
2014年02月10日 (月) 21:23 | 編集
 「異星人の郷(下)」(マイクル・フリン/創元SF文庫)読了。

 後半は村を黒死病(ペスト)が襲います。
 文明の進んだクレンク人といえども、不十分な機材と異星人である人類の病気には太刀打ちできません。

 異なる文明をもった(相手は宇宙人ですから)者同士が、段々と理解し合うようになっていく過程が感動的でした。

 上下巻の長編でしたが、長いとは感じませんでした。

 現代のパートでは、歴史学者が見事にこの過去の出来事を解き明かすのですが、ちょっと強引な感じで、いま一つぴたっぴたっとパズルのピースがはまるような快感がなかったのが残念といえば残念か。
 しかし、ラストもラスト、過去と現在が交差する鳥肌が立つような瞬間は、SFでなければ味わえないカタルシスでしょう。

 傑作でした。


異星人の郷 下 (創元SF文庫)<星人の郷 下 (創元SF文庫)
(2010/10/28)
マイクル・フリン

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異星人の郷 上巻
2013年10月02日 (水) 21:00 | 編集
 「異星人の郷(さと)」(マイクル・フリン/創元SF文庫)の上巻を読了。

 14世紀のドイツの田舎の村に宇宙船が不時着という、とんでもないアイデアのファーストコンタクトものSF。

 この村の話と、昔何か変なことがあったらしいと嗅ぎつける現代の科学者の話が交互に進んでいきます。

 ケン・フォレットの「大聖堂」みたいな感じで、昔の田舎の生活がよく描かれています。

 話の進み方にもったいぶった所がなく、主人公である村の神父と異星人(クレンク人と呼ばれる)とのコンタクトも物語の前半にあっけなく訪れます。

 むろん、この時代の村人に宇宙人などという概念はないので、どこか遠いところからやってきた外見のおかしな人たちという捉え方をするもの、あるいは悪魔がやってきたと考えるものなどいるわけです。

 一方、クレンク人は、宇宙船が壊れたため故郷に帰れなくなり、なんとか人間に頼って船を修理しなくてはなりません。
 そして、さすが宇宙人、頭に巻きつけると言葉を翻訳してくれる自動翻訳機を使って人間と会話ができるようになります。

 科学力では遥かに劣っている人類と、技術力は確かにすごいが、すぐに暴力をふるい階級が固定されている野蛮なクレンク人お互いどのように関わり変化していくか、それだけでも興味深いお話になっているのですが、歴史に埋もれた出来事を解明していく現代人のエピソードが加わり、物語のひねり方がうまいです。

 現在の統計歴史学者トムが、昔は確かに存在したのに、地上から消え去ってしまった村を発見します。
 どうもこの消え去りだれも住みつかなくなった村というのが、ずばり本書の舞台らしいのです。
 いったい何が起こったのか?

 お話は下巻へ・・・。

異星人の郷 上 (創元SF文庫)異星人の郷 上 (創元SF文庫)
(2010/10/28)
マイクル・フリン

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ロング・ドッグ・バイ
2013年04月20日 (土) 21:01 | 編集
ロング・ドッグ・バイ (PHP文芸文庫)ロング・ドッグ・バイ
(PHP文芸文庫)
(2012/11/17)
霞 流一

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ロング・ドッグ・バイ」(霞 流一/PHP文芸文庫)読了。

 犬が主人公の探偵小説です。

 犬が考え、犬同士では会話ができ、人間は犬にこのような能力があるとは知りません、というパターンの小説です。

 雑種犬のアローは人間に飼われている普通の犬ですが、様々な事件を暴いてきた探偵犬なのです。
 このアローが、柴犬のボンタから事件の依頼を受け、仲間とともに調査を開始します。

 血なまぐさい事件が起こるわけではないですが、最後のなぞ解きはちゃんと凝っていて、推理小説としてよく出来ています。

 犬好きの人ほど楽しめると思います。




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宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術
2013年01月27日 (日) 22:06 | 編集
宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術 (朝日新書)宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術
(朝日新書)
(2012/06/13)
宮本恒靖

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 「宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術」(宮本恒靖/朝日新書)読了。

 著者は元・サッカー日本代表キャプテンの宮本恒靖です。

 この本では、僕がずっと日本代表やJリーグでプレーしてきて、ピッチで感じていたこと、考えていたことをベースに、「サッカーってこんなふうに観たら、もっとおもしろい」「こんなところに注目して観たら、ずっと楽しめる」といったヒントをみなさんに示していきたいと思っています。(p.4)



 という通り、ワシのようなただボールを追って、ゴールが入った入らないだけで騒いでいるだけの俄かサッカーファンでも理解できるような平易な言葉で、「ワンランク上のサッカー観戦術」を伝授しようというのが本書です。。

 本書で紹介するワンランク上のサッカー観戦術のために必要なポイントは、大きく分けてこうだと考えています。
 サッカーの勝敗は88分間で決まる。
 ボールは3割しかみない。
 この二つを意識するだけで、試合の観方がおもしろいほど変わります。(p.5)



 まずは第一章、「良い選手」を観る技術、という話から始まります。
 選手一人が一試合90分の間でボールに触れている時間は、2分前後。
 宮本さんはボールに触れていない88分にこそ、その選手の本当の価値や質が出るという。

 ボールのないところでの駆け引きや、いかに有利にボールを受け取るかという「準備」作業などについて、自分の経験や、具体的な選手の動きを例にとりながら、解説されています。
 特に、遠藤や中田などのどこがどうしてそんなに凄いのかという分析が面白い。

 例えば、非常に短い距離で同じ選手同士がパスのやり取りをして、素人のワシなどは「この行為は一体何の意味があるのだろう?」と思うような場面がたまにあるのですが、この本で疑問が氷解しました。
 選手は自分の出そうとしたパスコースが切られた時に、近くにいる選手にパスをあずけて、自分のポジションを修正するのだそうです。
 特に遠藤選手はその動き直しの質が高いのだという。
 このどうでもよいようなパスの応酬の間に、ボール以外の場所を観察すれば、新しいサッカーの観方が開けてくる!


 サッカーの観戦はどうしてもボールを追うことに終始してしまいますが、試合の3割程度はボールのないところを観ようと提唱しています。
 そして、ボールだけでなく、全体を観るために、ピッチの観方を身につけるべきだという。
 ピッチは「守備」「中盤」「攻撃」という3つのゾーン分けが一般的ですが、選手たちは感覚的に4つのゾーンに分けてプレーしているのだそうです。
 詳しくは本書のp.79の図をご覧いただきたい。
 この4分割したゾーン上でどのようなプレーをすることが多いかに注目すると、攻撃的なのか守備的なのかなど、チームの特色をつかむヒントになるそうで、その「ピッチを観る技術」が第二章のテーマです。

 以下、第三章「代表チームを観る技術」、第四章「セットプレーを観る技術」と続き、どの章も新しいサッカーの観方を教えてくれます。




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こころの眼
2012年10月28日 (日) 21:16 | 編集
こころの眼―写真をめぐるエセーこころの眼―写真をめぐるエセー
(2007/07/20)
アンリ カルティエ=ブレッソン

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 「こころの眼 写真をめぐるエセー」(アンリ・カルティエ=ブレッソン/岩波書店)読了。

 「決定的瞬間」アンリ・カルティエ=ブレッソンのエッセイ集です。

 書き下ろしではなく、ブレッソンがあちこちに書いたものを纏めたもののようです。

 ブレッソンが写真についてどう考えていたのかを知る手掛かりとして、とても貴重な本でしょう。

 これまで一度として「写真そのもの」に情熱を傾けたことはない。私が愛するのは、自らをも忘れる一瞬のうちに、被写体がもたらす感動と形状の美しさを記録する写真の可能性だ。そこに現れたものが呼びおこす幾何学だ。(p.26)



 私たちの眼はかたときも休まず推測し、予測しなければならない。わずかな膝の屈伸でパースペクティヴを変え、一ミリにも満たない首の動きでいくつもの直線をめぐりあわせ、一致させる。むろんそれは反射神経のスピードで実現する。おかげで私たちは幸いにも「芸術する」ことに、こだわる間もない。構図はシャッターを押すとほぼ同時に構成される。ディテールをどう描くかは、被写体に向けたカメラの引き具合ひとつ。被写体を従わせることもあれば、逆にふりまわされることもある。(p.38-39)



 カメラ・アングルという言葉をしばしば耳にするが、アングル、すなわち角度とは、構図のための幾何学的アングルが唯一存在するのみである。有効なのはそれだけであって、腹這いになったり、きっかいな行動で何らかの効果を得ようとすることがアングルではない。(p.40)



 前半は主に写真についてで、後半が中国、モスクワ、キューバ等の取材話や交友関係の話という構成です。
 
 いろいろと知らなかった話も出てきて、興味深いです。
 彼はジャン・ルノワールの助監督を務めたことがあるのだという。

 彼は私を『ピクニック』の第二助監督に採用してくれた。第一助監督はジャック・ベッケル、研修助監督はルキノ・ヴィスコンティだ。(p.99)




 最後に、カメラ関係の掲示板等でも異常にこだわる人が多い永遠のテーマ、「ピント」について、ブレッソンがどう考えていたのか、面白いので引用します。

 写真技術というと、執拗にピントのことを考える人々がいるのをつねづねおもしろく思っている。生来の凝り性なのか、あるいはトロンプ・ルイユ(実物そっくりのだまし絵)に近づくことで現実を掌握できると考えているのか。そんな人々もまた、画面をぼかすことで芸術性を論じていたべつの世代の人々と同じほど問題の核心から遠いところにいる。(p.44)







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キラー・エリート
2012年09月29日 (土) 10:30 | 編集
キラー・エリート (ハヤカワ文庫 NV)キラー・エリート (ハヤカワ文庫 NV)
(2012/04/20)
ラヌルフ・ファインズ

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 「キラー・エリート」(ラヌルフ・ファインズ/ハヤカワ文庫NV)読了。

 約二十年前のベストセラー(「The Feather Men」)だそうですが、映画化に伴い再版されたのだそうです。
 
 実際にあった話、という体裁で進む小説で、どこまで本当でどこまで嘘なのか、全く分かりませんが、「著者まえがき」にはこうあります。

 亡くなった男たちの遺族の方たちの全面的な協力を得て、主要な役目を担う彼らを本名で登場させ、その人生をここに紹介することができた。遺族を代表する人たちに校正刷りを読んでいただき、身内の人たちが登場する場面には一ページずつ承認のためのサインをいただいた。本書が実話であるかどうかの判断は、読者の方々に委ねよう。(p.5)



 オマーンの山岳部族の元族長が、戦闘中に自分の息子を殺害した人間を探し出し、復讐するようにプロの殺し屋に依頼するところから話は始ります。
 一方、イギリスには「フェザーメン」という秘密結社が存在します。
 警察が対応できないような犯罪に秘密裏に対処する、という組織なのです。

 暗殺の対象となるのは、昔オマーンで活動していたイギリスの特殊部隊SASの隊員たちで、殺し屋たちは全く証拠を残さずに犯行を重ねていきます。
 そして、理由は分からないながらも、暗殺に気づいた「フェザーメン」のメンバーがその防止に動き出す、という内容です。

 派手なアクションはほとんどなく、リアルな描写が積み重ねられていきます。
 リアリティがあるだけに、殺し屋たちと「フェザーメン」の攻防に手に汗握って時間を忘れてしまう出来栄えです。

 作者は名の通った冒険家で、元SAS隊員なのだそうです。





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日本人のための新「幸福論」
2012年08月16日 (木) 21:55 | 編集
日本人のための新「幸福論」: 「NOと言える人」の時代が来た日本人のための新「幸福論」: 「NOと言える人」の時代が来た
(2012/04/06)
田原 総一朗、佐藤 優 他

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 『日本人のための新「幸福論」』(田原総一郎×佐藤優×宮崎学/三笠書房)読了。

 3.11の東日本大震災以来、巷では「悲観論=不幸論」が溢れている。
 しかし、「執拗に、そして、おもしろがって取り組めば、方策は出てくるものだ。」と田原氏は言う。

 というわけで、いま日本で起きていることについて、話が面白くなりそうな三人で激論を闘わせようという趣旨の本です。
 「激論」という割には、三人の意見はほぼ一致しているようで、対立というのはない平和な論戦ですが、話の中身はなかなか面白いものでした。

 例えば反原発というのは、ただの金持ちのおもちゃだという。
 電気料金が三倍になっても困らない連中が言っていることで、デモをしたところで世の中は変わらないという。
 デモに行く暇があったら、労働をして物を作り、学生は勉強をし、世の中を変えたければ、選挙に行けばよい。
 議会を通じて実現できることなのに、デモなどで群集心理がわき起これば、ファシズムの土壌が作られ、非常に危険である、とのこと。

 また、「がんばろう!日本」というキャッチフレーズも無意味だという。
 「がんばる」のは単なるプロセスであって、目標を伴っていないと意味を持たない。
 反原発をがんばるのか?、再稼働をがんばるのか?
 
 プロセスに比重を置きすぎると「目的はさておき頑張っている」ということが重視され、それは単なる自己満足になってしまう。
 この現象は、がんばってはみたものの結局世の中何も変わらなかったという、六十年代の学生運動と似ている。
 体制を打倒するというスローガンはあっても、打倒した後どうするというビジョンがなかったというわけです。
 これを宮崎さんは「壮大なゼロ」と表現しています。

 この辺を読んでいると、こういう空虚な「がんばり」は日本人の特徴なのかな、とちょとゾッとします。
 少し前に読んだ特攻隊の話、「永遠の0」を思い出してしまう。
 若者に無理やり特攻を志願させるのはまさに究極の「がんばり」なのですが、そのがんばってどんどん人を死なせた後で、いったい何が残るのか?何が目標なのか?
 戦争に負けるのはもう分かり切っていたのに。
 結局、ただ「目的はさておき頑張っている」。

 「がんばる」のはよく考えてからじゃないと駄目です。

 そして話は、一人ひとりが今までより働いて、物を作ることが復興につながるという、非常にシンプルな話にたどり着きます。
 破壊された以上、新しく創るほかなし。
 労働がこれまで以上に価値を持つ世の中になる。
 このとき大切なのは、株取引やFXなどのマネーゲームによる単なる金儲けと、物を生産することによる金儲けとをごっちゃにしないことだという。

 とにかく、真面目に働こう。



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屋根裏プラハ
2012年06月17日 (日) 21:23 | 編集
屋根裏プラハ屋根裏プラハ
(2012/01/31)
田中 長徳

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 「屋根裏プラハ」(田中長徳/新潮社)読了。

 田中長徳氏は写真家です。

 カメラ雑誌の連載記事だけ読むと、カメラのメカ的な側面にしか興味がないオヤジのようにあえて書いているような感がありますが、素晴らしいスナップ写真を撮る人です。

 その田中氏の初めての「純エッセイ集」なのだという。

 雑誌「新潮」に20回連載したものを、加筆のうえ、17編を収めたのが本書です。

 田中氏はプラハにアトリエを構えて20年になるのだそうで、本書はそのプラハでのあれこれで埋め尽くされております。

 プラハといえば、私も写真集を二冊ほど所有しているヨセフ・スデックの街であり、映画「アマデウス」のロケ地としても有名です。
 

 プラハは写真家の楽園である。世界中でこれほど魅力のある都会を知らない。それは巨匠ヨセフ・スデックの仕事が示している。千年の古都を今に歩行して写真を撮影できるのは奇跡のようなものだ。(p.20)



 「純エッセイ集」というだけあって、写真の本ではないのですが、それでも写真について多少は書かれていて、やはりそっちの文章に惹かれてしまいます。

 記念写真。その対義語は何であろう。隠し撮り。これは嫌な言葉だ。ところが実は世界の名作写真は例外なくこの隠し撮り、すなわち「キャンディット・フォト」なのである。 (略) 人物写真には決定的瞬間があるが、風景にはそんなものないのでは? と考える人は写真に対する認識不足である。風景にこそ決定的瞬間があり、そしてむしろ人物撮影より「風景に意識させずにその行動を撮影する」ほうが困難なのだ。(p.91-92)



 あたしは「写真教育不可能論者」でもある。写真は教わって理解できるものではない。学べるのはその方法だけである。その先は誰も教えてくれない。(p.121)


 田中氏は旺盛にブログの更新を行っており、このブログの文章が気に入れば、本書も楽しく読めると思います。
 http://chotoku.cocolog-nifty.com/



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我関わる、ゆえに我あり ― 地球システム論と文明
2012年06月09日 (土) 16:22 | 編集
我関わる、ゆえに我あり ―地球システム論と文明 (集英社新書)我関わる、ゆえに我あり ―地球システム論と文明 (集英社新書)
(2012/02/17)
松井 孝典

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 「我関わる、ゆえに我あり ― 地球システム論と文明」(松井孝典/集英社新書)読了。

 「水惑星の理論」で有名な松井先生による地球論・文明論です。

 幕末、国家という概念を持たなかった日本人は、ペリーの黒船来航による外からの視線によって、自分たちの生きる世界の実情を知りました。

 それと同じように、現代のわれわれが自分たちの生きる世界を語るためには、宇宙から地球を俯瞰する視点が必要なのだという。

 特に、環境問題、エネルギー問題など、人類が直面している難問に取り組む重要性が、3.11の大震災以降増してきています。

 文明が岐路に立たされているということは、我々自身の生き方、もっといえば我々の存在そのものが問われているということです。
 我々は、こうした時にこそ、宇宙、地球、生命の歴史というものがどこまで分かったのかということを改めて一回きちっと分析してみるべきです。その中で文明とは何なのかを、とらえ直してみるのです。(p.214)



 自分たちが生きる世界のことを語ることができなければ、自分自身のことを語れるはずがない。
 故に、天文学・生物学・哲学などを横断して、地球の始まりから人類が進化し現代にいたるまでの過程が、独自の視点で、しかも、ものすごい早送りで検証されていきます。

 我々が知らない領域がどこにあるのか、我々は何を分かっていないのかを知り、その上で、「我々がどこに行こうとしているのか」が見えてくるのだという。



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さよなら!僕らのソニー
2012年05月20日 (日) 21:38 | 編集
さよなら!僕らのソニー (文春新書)さよなら!僕らのソニー (文春新書)
(2011/11)
立石 泰則

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 「さよなら!僕らのソニー」(立石泰則/文春新書)読了。

 トリニトロン・カラーテレビとウォークマン以降、魅力的な商品を売り出すことができず、「技術のソニー」ブランドがなぜ凋落してしまったのか

 その謎を、ソニーの歴史を紐解きながら考えてゆく、という内容。

 まずは、ありきたりの大企業病。
 巨大企業となったソニーは、利益を出さなければならず、そうなると売れると分かっている商品を売る、つまり、「二番手商法」に走ることになる。
 これで、独創的な商品の開発が鈍っていく。

 さらに、大賀、出井、ストリンガーとづづく経営陣が、次第にエレクトロニクス(エレキ)事業から、コンテンツやネットワーク事業を含む広い意味でのエンタテインメント事業にシフトしていこうとし、悲惨な失敗を繰り返していきます。

 近年では、リストラや資産の売却などで、一時的に利益が出ているように見せかけますが、商品が売れているわけではないので、次の年には大赤字。
 それにもかかわらず、経営陣は億単位の報酬をいただいている。

 流失した人材はライバル会社にどんどん引き抜かれ、技術を盗まれてしまう。
 液晶を作る技術はあっても、綺麗な「絵づくり」のノウハウがなかった韓国系企業などは、どんどんソニーの画質に近づき、差がなくなっていく。

 著者は長年ソニーを取材している人で、直接インタビューも多数しています。
 それだけに説得力があり、こんな発言をほんとにしたのかとぶっ飛ぶようなエピソードもあります。

 出井氏はこういう発言をしています。

 「テレビ画面の明るさだとか解像力の美しさなど問題にならなくなる。大事なのは中身(コンテンツ)であって、誰がその中身を作り、誰がそれを配信するネットワークを支配するかである」(p.180)



 テレビで儲けてきた会社の経営者が、テレビの画質などどうでもよいという

 そして、出井氏は自分の後継者にハワード・ストリンガー氏を指名するのです。

 CBSテレビ出身でエレキのことを何も知らないストリンガー氏は、ソニーのエレクトロニクス軽視を加速させていきます。

 ストリンガー氏はソニー製品をネットワークに繋ぐことに熱心なのだが、繋いだ後、どのようなビジネスモデルを持っているのだろうか?
 私はストリンガー氏に直接、「ネットワークに繋ぐ理由は分かりましたが、ではどこで利益を稼ぎ出すつもりなのですか。それを教えてください」と尋ねた。
 ストリンガー氏は少し考えてから、こう答えた。
「それをいま、平井(一夫氏)に考えさせているところだ」
「・・・・・・」
 私は、絶句した。
 ビジネスモデルを持たないまま、すべてのソニー製品をネットワークに繋ごうとしていたのか。(p.245)



 歴史を後から振り返ると、「なんと馬鹿な」という事柄が多いのですが、ソニーもまたしかり。

 本書の出版後も赤字を出し続けてはいますが、ソニーは倒産したわけではなく、歴史は現在進行形で続いています。

 がんばれ!僕らのソニー、と言っておこう。




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黒澤明の遺言
2012年05月04日 (金) 21:41 | 編集
黒澤明の遺言黒澤明の遺言
(2012/02/16)
都築 政昭

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 「黒澤明の遺言」(都築政昭/実業之日本社)読了。

 映画監督・黒澤明の発言を年代順にピックアップし、解説をつけたもの。

 見開き右側に黒澤明の言葉、左に解説で、非常にコンパクトです。

 じっくり読んでもよし、パラパラ拾い読みしてもよしという感じです。

 黒澤ファンにとっては特に目新しい記述はないですが、彼がどんなことを考えていたのかざっくりと知りたいという入門者にはちょうど良い本だと思います。

 

 無から創造できるはずがない、故に
 創造というのは記憶ですね。(p.26)


 

 映画は考えさせるようには出来ていない。
 感じさせるように出来ているのである。(p.66)



 黒澤監督は完ぺき主義者という印象が一般的で、たしかに、
 

 ものを創る人間で
 完全主義者でないやつがいるかよ。(p.116)


 という発言をしています、が、一方で、

 「登場人物が本当に生きた人間に描かれていたら、その人間たちが、それぞれの主張をするわけですね。予定したように話が進まないんです。川の流れのようにくねくね曲がるし。でも、そういう不思議な展開をしたところが、自然で、見ている方には大変面白い」(p.43)



 とも、語っていて、こういう完璧追求とある程度の偶然性を受け入れていくダイナミックさの融合が黒澤映画の魅力となっているのでしょう。

 脚本も、あらかじめプロットを決めるのではなく、最初から書き始めて、キャラクターをどんどん自由に動かしていくのだそうです。

 これを読むと、もう一度黒澤映画を観直したくなります。




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永遠の0(ゼロ)
2012年04月05日 (木) 22:05 | 編集
永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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 「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹/講談社文庫)読了。

 終戦から60年目の夏、司法試験に落ち続けてぶらぶらしていた健太郎に、祖父の生涯を調べてほしいという依頼が舞い込みます。
 その祖父は太平洋戦争中、零戦のパイロットで、終戦の直前に特攻で命を落としたのだという。

 最初は会ったこともなく、親近感もない祖父の調査に気乗りしなかった健太郎。
 ですが、祖父を知る戦友たちの証言を集めながらその素顔に触れるにつれ、調査にのめりこんでゆく。

 生前を知る人々の証言で、今は亡き人物像を浮かび上がらせるという、「市民ケーン」的な手法で話が進みます。

 読んでいて、この健太郎が調査にのめりこむ過程と、読者の興味の深まりとが同期して、いつの間にか、ページを繰る手が止まらなくなります。

 歴史上の出来事として知っているつもりだった事柄が、生き残りの証言という生な形で提示され、全く違った戦争観を与えられます。
 小説なのかノンフィクションなのか、段々と境目が分からなくなってきます。

 戦争の悲惨はもちろんですが、一人の人間の人生と、その生きざまの波紋が周りに及ぼしてゆくドラマに、胸が一杯になります。
 評判のいい本であるとは知っていたのですが、これほどの威力とは全く予想外でした。

 正直、ラストは涙涙でした。

 感動と同時に、自分の生き方を振り返るいい機会にもなりました。

 作者は戦争の生き残りの言葉を使って、作戦の失敗の原因、責任をだれも取らないといういまだに蔓延る日本の問題なども、鋭く抉り出してみせ、ミクロとマクロの視点が物語に厚みを与えています。

 老若男女、すべての日本人に読んでいただきたい、名作です。

 と、ここまで書いてもまだ読むかどうか迷っている人、巻末に児玉清氏のすばらしい解説があるので、まずそれを読んでみてください。




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どちらとも言えません
2012年03月01日 (木) 21:52 | 編集
どちらとも言えませんどちらとも言えません
(2011/10)
奥田 英朗

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 「どちらとも言えません」(奥田英朗/文芸春秋)読了。

 直木賞作家、奥田英朗のスポーツエッセイ。

 雑誌「Number」723~775号のうち奇数号、サッカーW杯臨時増刊号1~4号に掲載されたもの。

 ユーモアにまぶされているが、どきりとするような核心をつく指摘を随所にしており、面白いだけでなく、読みごたえ十分です。
 外国と日本の比較が多いという印象です。

 そしてたいてい、だから日本(人)はだめなのだ、というちょっと卑屈というかネガティブな結論になりがち。

 日本人がサッカーが苦手なのは、「順番を守る国民性」に尽きるという話になり、日本以外の大半の国では順番など守らないといい、

 待っている奴には回ってこない。これが世界の常識なのだ。ゆえに、我らはボールの取り合いをする競技がとにかく苦手。ラグビーも、バスケットボールも、ホッケーも全部ダメ。もちろん体格の差もあろうが、それ以前に妨害行為にことのほか弱く、メンタル面で負けちゃっているのである。(p.107)


 …という風にぐんぐん筆が走っていく。

 スポーツの楽しみの一番目は、自分でプレーすること。
 二番目は観戦。
 そして、三番目は語ることだという。

 スポーツは、政治、経済、文化、あらゆる分野に多大な影響を及ぼすが、それは人々をいくらでも語らせる共有感があるからにほかならない。(p.234)






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耳を澄ませば世界は広がる
2011年11月30日 (水) 11:11 | 編集
耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)
(2011/08/17)
川畠 成道

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 「耳を澄ませば世界は広がる」(川畠成通/集英社新書)読了。

 著者はクラシック界の第一線で活躍する、ヴァイオリニストです。

 8歳のときに風邪薬の副作用による薬害で、視覚に障害を負いました。

 障害ゆえの練習の苦労や工夫なども書かれていますが、ことさらに悲劇を強調したり嘆いたり、それを乗り越えた自分を誇ったりするわけではありません。
 障害も含めて自分自身の個性だと受け入れている姿勢が感じられます。
 あるいは、内面の苦悩を表に出さないという美学なのかもしれませんが。

 一人のバイオリニストとして、生い立ち、音楽に対する姿勢、コンサートやCD録音時のエピソードやこだわりなどが率直に語られ、第一級の読ませるエッセイとなってます。

 「音楽」を「芸術」や「人生」に置き換えて読むこともできる、芸術論としても含蓄がある内容が詰まってます。

 人は視覚から八~九割の「情報」を得ているといわれますが、「情報」とは誰かが作ったものであり、その「情報」に接している時が長くなるということは、その誰かと一緒にいる時間が長くなるということなのだという。
 川畠さんは視覚に障害があるため、普通に見えている人に比べ受ける情報量が限られる半面、「情報」から離れていられるのだそうです。
 「情報」に常に囲まれていれば、「自分の心の声を聞こうとしてもなかなか聞こえてはこない。」、「強く意識しなければ、情報から離れて自分の世界にいる時間を持つのは難しいとおもいます。」と述べられてます。

 演奏というものは、自分のアイデンティティーすべてが現れてきます。ですから、演奏家として、自分の世界を持つのは大事なことなのです。人より見えないということはハンディキャップと言えるのでしょうが、演奏家としては、そのことによって得るものも大きいと思っています。(p.17-18)



 同じ曲を繰り返し演奏するクラシック音楽の世界での究極の質問、「自分が演奏する意味はあるか?」に対する考察もあります。

 もしかすると作曲家本人も意図しなかったような曲の「命」のようなものがあって、まだ眠っているそうしたものを我々演奏家が引き出すことができるとしたら、それは最高の喜びだとおもいます。だからこそ、演奏家の個性が大切であり、同じ曲であっても色々な演奏家が弾く意味があるのです。(p.62)


 また、随所に散見される川畠さんの謙虚さが印象に残ります。
 良いものを作り続けている人は、やはり謙虚であるのです。

 自分の意図したものが相手に伝わっていないとすれば、なぜこの人はわかってくれないのだろうと思うよりは、それはもしかすると自分の伝え方にまだ不十分な点があるのではということを考えるようにしています。(p.15)



 たとえ「もうひとりの自分」がいても、自分が聞ける範囲にはどうしても限界があると私は思っています。考えきれない部分、聞こえていない部分というのは、もしかすると、自分が考えている、聞いているものの数倍あるかもしれない。他人の意見を聞くということは、自分には聞こえていないかもしれないものを人から聞く、ということではないでしょうか。(p.42-43)






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心を整える
2011年09月26日 (月) 21:52 | 編集
心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
(2011/03/17)
長谷部誠

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 「心を整える」(長谷部誠/幻冬舎)読了。

 長谷部誠という27歳のサッカー選手が、普段何を考え、どのように行動しているのか、「心を整える」という言葉をキーワードに書かれています。

 「心を整える。」
 なんの変哲もないタイトルなのですが、僕が伝えられることはこれに尽きます。
 これといった長所もなく、華麗な経歴もない僕がここまで生き残ってこられたスキルと概念です。読んでいただいた方に、何かひとつでもヒントや気づきがあれば嬉しいです。(p.10)


 読んでいて驚くというか感動するほどの、誠実さと真面目さが全編を貫いております。

 普通人の場合、自分が何をすべきか何が正しいのか十分わかっていても、それを実際の行動に移せないというパターンが大部分でしょう。
 10のうち6くらい正しい行動を取れたら、後はズルをしてもまぁ自分を許すというのが普通人だ。

 が、長谷部の場合、正しいと分かっていることは、万難を排して実行に移すという、度を越した真面目さがすごい。
 10のうち10、100のうち100、ズル0、という生き方。

 徹底的に正しい、正しすぎるという、この「すぎる」ことを自分に課して、そして今の彼がいる。

 長谷部の考え方や生活習慣だけでなく選手、監督、審判などとのピッチの外や中でのエピソードも興味深く読ませてくれるのですが、ワシの頭の中で本書を蒸留して後に残るエッセンスはこの強烈な「真面目」さに尽きます。
 「あなたもこれをしなさい」という本ではなく「僕はこうしてます」という本だからでしょうか。

 そもそも本書のジャンル分けとして「自己啓発本」というのは正しいのだろうか。
 それを読んで、自分も真似してみようとか、実生活に何か役立てるために読む本を「自己啓発本」というのでしょうが、本書を読んでいるとどうしても内容よりも、著者である長谷部のキャラクターがどんどん立ち上がってきて、エッセイというか自伝を読んだかのような余韻が残るのでした。
 ま、これはワシ一人の読後感なので。

 具体的な中身についてちょっと触れると、考え方が論理的で、どんなことにもちゃんと理屈がついているのが、いかにも近代サッカーの選手だなあと感心してしまいます。
 例えば、遅刻がいかに良くないかという理屈では。

 遅刻というのは、まわりにとっても、自分にとっても何もプラスを生み出さない。まず、遅刻というのは相手の時間を奪うことにつながる。20人で集まるとする。そこに僕が5分遅れたら、5分×20人で100分待たせることになる。それに、「彼は遅れるから、集合時間を(あらかじめ)早く設定しよう」ということにもなりかねない。そんな駆け引きはすごく不毛だ。だから僕は遅刻をする人を信頼できない。(p.144)


 長谷部誠はもっともっと偉大な選手になるだろう。




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犬の力
2011年08月30日 (火) 22:34 | 編集
犬の力 上 (角川文庫)犬の力 上 (角川文庫)
(2009/08/25)
ドン・ウィンズロウ

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 「犬の力」(ドン・ウィンズロウ/角川文庫)読了。

 「このミステリーがすごい2010年度版」海外編第一位だそうです。

 1975年から2004年に至る、約30年に及ぶ南北アメリカ大陸を舞台とした麻薬戦争を描く大長編です。

 もっとゆったりとした大河小説かと予想していたのですが、近代エンターテインメント小説の見本とでもいいますか、話の展開が早く、緊張の糸が張り詰めたまま、あっという間にラストまで疾走していきます。

 登場人物の数と物語の複雑さを考えると、このスピード感はいかにもすごい。

 人によっては、際限なく続く暴力、むき出しの欲望や裏切りなどの人間の醜さに辟易として、途中で放り投げてしまうかしれません。
 が、見ないふり見えないふりをしようとしまいと、こういう現実が世界にはあるということは理解しておかないと、いけないかもしれません。

 現実の歴史とフィクションを上手く混ぜ合わせてあり、書き手の上手さにとにかく舌を巻きます。





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