こんな本を読みました。
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宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術
2013年01月27日 (日) 22:06 | 編集
宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術 (朝日新書)宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術
(朝日新書)
(2012/06/13)
宮本恒靖

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 「宮本式・ワンランク上のサッカー観戦術」(宮本恒靖/朝日新書)読了。

 著者は元・サッカー日本代表キャプテンの宮本恒靖です。

 この本では、僕がずっと日本代表やJリーグでプレーしてきて、ピッチで感じていたこと、考えていたことをベースに、「サッカーってこんなふうに観たら、もっとおもしろい」「こんなところに注目して観たら、ずっと楽しめる」といったヒントをみなさんに示していきたいと思っています。(p.4)



 という通り、ワシのようなただボールを追って、ゴールが入った入らないだけで騒いでいるだけの俄かサッカーファンでも理解できるような平易な言葉で、「ワンランク上のサッカー観戦術」を伝授しようというのが本書です。。

 本書で紹介するワンランク上のサッカー観戦術のために必要なポイントは、大きく分けてこうだと考えています。
 サッカーの勝敗は88分間で決まる。
 ボールは3割しかみない。
 この二つを意識するだけで、試合の観方がおもしろいほど変わります。(p.5)



 まずは第一章、「良い選手」を観る技術、という話から始まります。
 選手一人が一試合90分の間でボールに触れている時間は、2分前後。
 宮本さんはボールに触れていない88分にこそ、その選手の本当の価値や質が出るという。

 ボールのないところでの駆け引きや、いかに有利にボールを受け取るかという「準備」作業などについて、自分の経験や、具体的な選手の動きを例にとりながら、解説されています。
 特に、遠藤や中田などのどこがどうしてそんなに凄いのかという分析が面白い。

 例えば、非常に短い距離で同じ選手同士がパスのやり取りをして、素人のワシなどは「この行為は一体何の意味があるのだろう?」と思うような場面がたまにあるのですが、この本で疑問が氷解しました。
 選手は自分の出そうとしたパスコースが切られた時に、近くにいる選手にパスをあずけて、自分のポジションを修正するのだそうです。
 特に遠藤選手はその動き直しの質が高いのだという。
 このどうでもよいようなパスの応酬の間に、ボール以外の場所を観察すれば、新しいサッカーの観方が開けてくる!


 サッカーの観戦はどうしてもボールを追うことに終始してしまいますが、試合の3割程度はボールのないところを観ようと提唱しています。
 そして、ボールだけでなく、全体を観るために、ピッチの観方を身につけるべきだという。
 ピッチは「守備」「中盤」「攻撃」という3つのゾーン分けが一般的ですが、選手たちは感覚的に4つのゾーンに分けてプレーしているのだそうです。
 詳しくは本書のp.79の図をご覧いただきたい。
 この4分割したゾーン上でどのようなプレーをすることが多いかに注目すると、攻撃的なのか守備的なのかなど、チームの特色をつかむヒントになるそうで、その「ピッチを観る技術」が第二章のテーマです。

 以下、第三章「代表チームを観る技術」、第四章「セットプレーを観る技術」と続き、どの章も新しいサッカーの観方を教えてくれます。




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我関わる、ゆえに我あり ― 地球システム論と文明
2012年06月09日 (土) 16:22 | 編集
我関わる、ゆえに我あり ―地球システム論と文明 (集英社新書)我関わる、ゆえに我あり ―地球システム論と文明 (集英社新書)
(2012/02/17)
松井 孝典

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 「我関わる、ゆえに我あり ― 地球システム論と文明」(松井孝典/集英社新書)読了。

 「水惑星の理論」で有名な松井先生による地球論・文明論です。

 幕末、国家という概念を持たなかった日本人は、ペリーの黒船来航による外からの視線によって、自分たちの生きる世界の実情を知りました。

 それと同じように、現代のわれわれが自分たちの生きる世界を語るためには、宇宙から地球を俯瞰する視点が必要なのだという。

 特に、環境問題、エネルギー問題など、人類が直面している難問に取り組む重要性が、3.11の大震災以降増してきています。

 文明が岐路に立たされているということは、我々自身の生き方、もっといえば我々の存在そのものが問われているということです。
 我々は、こうした時にこそ、宇宙、地球、生命の歴史というものがどこまで分かったのかということを改めて一回きちっと分析してみるべきです。その中で文明とは何なのかを、とらえ直してみるのです。(p.214)



 自分たちが生きる世界のことを語ることができなければ、自分自身のことを語れるはずがない。
 故に、天文学・生物学・哲学などを横断して、地球の始まりから人類が進化し現代にいたるまでの過程が、独自の視点で、しかも、ものすごい早送りで検証されていきます。

 我々が知らない領域がどこにあるのか、我々は何を分かっていないのかを知り、その上で、「我々がどこに行こうとしているのか」が見えてくるのだという。



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さよなら!僕らのソニー
2012年05月20日 (日) 21:38 | 編集
さよなら!僕らのソニー (文春新書)さよなら!僕らのソニー (文春新書)
(2011/11)
立石 泰則

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 「さよなら!僕らのソニー」(立石泰則/文春新書)読了。

 トリニトロン・カラーテレビとウォークマン以降、魅力的な商品を売り出すことができず、「技術のソニー」ブランドがなぜ凋落してしまったのか

 その謎を、ソニーの歴史を紐解きながら考えてゆく、という内容。

 まずは、ありきたりの大企業病。
 巨大企業となったソニーは、利益を出さなければならず、そうなると売れると分かっている商品を売る、つまり、「二番手商法」に走ることになる。
 これで、独創的な商品の開発が鈍っていく。

 さらに、大賀、出井、ストリンガーとづづく経営陣が、次第にエレクトロニクス(エレキ)事業から、コンテンツやネットワーク事業を含む広い意味でのエンタテインメント事業にシフトしていこうとし、悲惨な失敗を繰り返していきます。

 近年では、リストラや資産の売却などで、一時的に利益が出ているように見せかけますが、商品が売れているわけではないので、次の年には大赤字。
 それにもかかわらず、経営陣は億単位の報酬をいただいている。

 流失した人材はライバル会社にどんどん引き抜かれ、技術を盗まれてしまう。
 液晶を作る技術はあっても、綺麗な「絵づくり」のノウハウがなかった韓国系企業などは、どんどんソニーの画質に近づき、差がなくなっていく。

 著者は長年ソニーを取材している人で、直接インタビューも多数しています。
 それだけに説得力があり、こんな発言をほんとにしたのかとぶっ飛ぶようなエピソードもあります。

 出井氏はこういう発言をしています。

 「テレビ画面の明るさだとか解像力の美しさなど問題にならなくなる。大事なのは中身(コンテンツ)であって、誰がその中身を作り、誰がそれを配信するネットワークを支配するかである」(p.180)



 テレビで儲けてきた会社の経営者が、テレビの画質などどうでもよいという

 そして、出井氏は自分の後継者にハワード・ストリンガー氏を指名するのです。

 CBSテレビ出身でエレキのことを何も知らないストリンガー氏は、ソニーのエレクトロニクス軽視を加速させていきます。

 ストリンガー氏はソニー製品をネットワークに繋ぐことに熱心なのだが、繋いだ後、どのようなビジネスモデルを持っているのだろうか?
 私はストリンガー氏に直接、「ネットワークに繋ぐ理由は分かりましたが、ではどこで利益を稼ぎ出すつもりなのですか。それを教えてください」と尋ねた。
 ストリンガー氏は少し考えてから、こう答えた。
「それをいま、平井(一夫氏)に考えさせているところだ」
「・・・・・・」
 私は、絶句した。
 ビジネスモデルを持たないまま、すべてのソニー製品をネットワークに繋ごうとしていたのか。(p.245)



 歴史を後から振り返ると、「なんと馬鹿な」という事柄が多いのですが、ソニーもまたしかり。

 本書の出版後も赤字を出し続けてはいますが、ソニーは倒産したわけではなく、歴史は現在進行形で続いています。

 がんばれ!僕らのソニー、と言っておこう。




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耳を澄ませば世界は広がる
2011年11月30日 (水) 11:11 | 編集
耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)耳を澄ませば世界は広がる (集英社新書)
(2011/08/17)
川畠 成道

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 「耳を澄ませば世界は広がる」(川畠成通/集英社新書)読了。

 著者はクラシック界の第一線で活躍する、ヴァイオリニストです。

 8歳のときに風邪薬の副作用による薬害で、視覚に障害を負いました。

 障害ゆえの練習の苦労や工夫なども書かれていますが、ことさらに悲劇を強調したり嘆いたり、それを乗り越えた自分を誇ったりするわけではありません。
 障害も含めて自分自身の個性だと受け入れている姿勢が感じられます。
 あるいは、内面の苦悩を表に出さないという美学なのかもしれませんが。

 一人のバイオリニストとして、生い立ち、音楽に対する姿勢、コンサートやCD録音時のエピソードやこだわりなどが率直に語られ、第一級の読ませるエッセイとなってます。

 「音楽」を「芸術」や「人生」に置き換えて読むこともできる、芸術論としても含蓄がある内容が詰まってます。

 人は視覚から八~九割の「情報」を得ているといわれますが、「情報」とは誰かが作ったものであり、その「情報」に接している時が長くなるということは、その誰かと一緒にいる時間が長くなるということなのだという。
 川畠さんは視覚に障害があるため、普通に見えている人に比べ受ける情報量が限られる半面、「情報」から離れていられるのだそうです。
 「情報」に常に囲まれていれば、「自分の心の声を聞こうとしてもなかなか聞こえてはこない。」、「強く意識しなければ、情報から離れて自分の世界にいる時間を持つのは難しいとおもいます。」と述べられてます。

 演奏というものは、自分のアイデンティティーすべてが現れてきます。ですから、演奏家として、自分の世界を持つのは大事なことなのです。人より見えないということはハンディキャップと言えるのでしょうが、演奏家としては、そのことによって得るものも大きいと思っています。(p.17-18)



 同じ曲を繰り返し演奏するクラシック音楽の世界での究極の質問、「自分が演奏する意味はあるか?」に対する考察もあります。

 もしかすると作曲家本人も意図しなかったような曲の「命」のようなものがあって、まだ眠っているそうしたものを我々演奏家が引き出すことができるとしたら、それは最高の喜びだとおもいます。だからこそ、演奏家の個性が大切であり、同じ曲であっても色々な演奏家が弾く意味があるのです。(p.62)


 また、随所に散見される川畠さんの謙虚さが印象に残ります。
 良いものを作り続けている人は、やはり謙虚であるのです。

 自分の意図したものが相手に伝わっていないとすれば、なぜこの人はわかってくれないのだろうと思うよりは、それはもしかすると自分の伝え方にまだ不十分な点があるのではということを考えるようにしています。(p.15)



 たとえ「もうひとりの自分」がいても、自分が聞ける範囲にはどうしても限界があると私は思っています。考えきれない部分、聞こえていない部分というのは、もしかすると、自分が考えている、聞いているものの数倍あるかもしれない。他人の意見を聞くということは、自分には聞こえていないかもしれないものを人から聞く、ということではないでしょうか。(p.42-43)






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恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?
2010年11月06日 (土) 22:05 | 編集
恐れるな!  なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21)恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21)
(2010/10/09)
イビチャ・オシム

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 「恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか?」(イビチャ・オシム/角川oneテーマ21)読了。

 2010年ワールドカップ南アフリカ大会前に出た新書、「考えよ!」(http://t104.blog72.fc2.com/blog-date-20100616.html)の続編です。

 2010ワールドカップの総括(日本の戦った全試合と主要な試合の分析)と、2014年ブラジル大会に向けた展望です。
 読んでいると、大会中の興奮が蘇ります。

 オシムの主張は前著から全くぶれることなく、ようは「リスクを恐れるな」ということに尽きる感じです。
 結局のところ、常に話はここに戻って来て、ある時はサッカーを越えて日本人論、教育論、文化論の風を帯びてきます。

 「日本人は総じてプレーにおける責任感に欠けている。まるで疫病から逃げるようにして責任から遠ざかる。」と書いた後で、さらにこういう文章が続きます。

 矛盾しているようだが、本来は、日本人には責任感があるのだ。責任感の強いプレーが日本の強みのひとつである。しかしながら、この責任感というものを強調しすぎてはいけない。一部の日本人選手たちは、大きすぎる責任のためにリスクを少ししか負わないからだ。責任感の強すぎる選手は、リスクを全く負わなくなるのだ。
 (略)
 日本人は一般的に、失敗する恐怖が、プレシャーとなり重荷となっている。繰り返すが、それは、学校生活、社会生活、そしてサッカーにおいて抱く恐れである。(p.67)


 まるで、自分のことを言われているようで、しゅんとしてしまう人も多いのではないですか。

 この本の一番の驚きは、最後の数ページでした。
 オシムはリハビリを続けながら、息子の監督しているチームの練習をよく見にいくのだという。
 そして、こう言うのです。

 叶うならば再びベンチに座りたい。(p.208)


 もう一度監督をしたいというのです。
 人にリスクを冒せという以上、自分の人生においてもリスクを冒さなくてはならないのだという。
 いやはや、凄い人です。


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考えよ! なぜ日本人はリスクを冒さないのか?
2010年06月16日 (水) 21:37 | 編集
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
(2010/04/10)
イビチャ・オシム

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 「考えよ! なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」(イビチャ・オシム/角川oneテーマ21)読了。

 前サッカー日本代表監督で、脳梗塞で倒れたため岡田氏に監督の座を譲った、イビチャ・オシム氏の著書です。

 今年2010年4月の初版発行で、ワールドカップ南アフリカ大会を前に緊急出版という感じでしょうか。
 現在の日本代表チームの課題や、相手チームの分析など実に的確で参考になります。

 外国人から見た日本人論として読んでも、実に立派な展開であります。

 日本では、長年にわたって失敗に対し罰を与えるような教育システムになっているように思える。そういう社会性が、ある意味、サッカーでは悪い方向に作用する。
 「失敗して罰を受けるならば何もトライしたくない」という深層心理が消極的な姿勢につながるのである。「日本人には責任感がない」とは決して言えない。日本人のメンタリティの問題は「責任感がない」のではなく、その責任感に自分で限界を作ってしまうことではないか。自分で勝手に仕事の範疇を決めてしまい、それを達成すると、「後は自分の責任ではない」と考える。(p.93-94)



 選手についてのコメントも、監督をやった人間ならではのものです。
 例えば中村俊輔についてはこのように書きます(この文章の前後では絶賛と言えるほど褒めているのですが…)。

 中村俊輔は、決闘を好み勝負するプレーヤーではない。私が代表監督のときは、危険な存在になるように、いつも「前へいけ!」と言い続けていた。しかし、彼は、不思議なことにさらに下がった。(p.130)


 なぜ「走らないと駄目」なのかだとか、「日本のサッカーを日本化する」などという謎めいた言葉の意味だとかが、詳しく解説されているので、いままで「オシムは何を言いたいのか分からん」と感じていた人にはよいテキストになるでしょう。

 言い回しが複雑というか、ひねくれているというか、ユーモアなのか、とにかく言葉尻を捉えて、矛盾していることを発言しているように受け取られることも多い人ですが、このようにまとまった文章をちゃんと読めば、いかに筋の通った思考の持ち主であるかがわかろうというものです。

 A と B を考えつつ C をするというような、いくつもの事柄を並行して処理する能力を求めるというのが、オシム氏の持ち味のように感じます。
 そしてそれは実際、サッカーに限らず人生の様々な局面で求められる能力でもあるでしょう。

 本書を一読しておけば、ワールドカップの楽しさが数倍増すのではないでしょうか。


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今こそアーレントを読み直す
2009年07月04日 (土) 22:04 | 編集
今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
(2009/05/19)
仲正 昌樹

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 「今こそアーレントを読み直す」(仲正昌樹/講談社現代新書)読了。

 ハンナ・アーレントは1906年にドイツに生まれたドイツ系ユダヤ人で、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れアメリカに亡命、1975年に亡くなった政治哲学者・思想家です。

 「自由」という言葉が一つのキーワードになっています。
 人間は自由に生きる権利を持っており、(特に日本とかアメリカとか先進国に生まれた人間は)実際に自由である、とワシらは単純に思っていますが、それは間違いであるということ。

 人類はもともと「自由」に労働していたのに、「階級」が生まれ、搾取するもの/されるものという仕組み出来上がってしまった。
 この階級制度という障害物を取り除く「革命」を遂行することによって、人類は「解放」され再び「自由」となる。

 アーレントはこういうフランス革命やマルクス主義の考え方を批判しています。
 解放されても人々は結局社会で生きていく中で、物質的な利害をめぐる競争や対立を繰り返すことになる。
 疲れ果てた人々は様々な問題を一挙に解決してくれる「答え」を求めるようになり、自分たち代わりに考えてくれる「指導者」に群れのようについて行きたいと願望するようになる。
 そういう不安に駆られた大衆を、何らかの理想へと導くかのような姿勢を見せる政党の典型が、ナチスやソ連共産党なのだという。
 フランス革命でもロシア革命でも、自分たちの信じた「善」に反する人々には凄まじい恐怖政治を布きました。

 利害のために「善」の探求を放棄してもダメだし、特定の「善」の観念に囚われすぎてもダメなのである。両極のいずれかに偏ってしまうことなく、「善とは何か?」についてオープンに討議し続けることが重要だ。(p.17)



 着地点がないのが着地点ですというような、分かりにくさがアーレントの特徴で、エンドレスに討議し続けるということは、永遠に答えが出ないっつーことです。

 誰の世界観が一番ましで、信用できるかが問題ではない。そういう発想自体がズレている。肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚したうえで、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めることである。他の物語も成立し得ることを最低限認めていれば、アーレントの描き出す「全体主義化」の図式に完全に取り込まれることはないだろう。他の物語の可能性を完全に拒絶すると、思考停止になり、同じタイプの物語にだけ耳を傾け、同じパターンの反応を繰り返す動物的な存在になっていく。(p.57-58)



 物質的な欠乏状態あるいは、暴力による抑圧状態から「解放」されたヒトが、そのことに満足してしまい、自らの属する政治的共同体にとっての「共通善」を探求することを止めてしまったら、そのヒトは「自由」だとは言えない。「共通善」をめぐる果てしなき討論の中で、「人間」としての「自由」が現われてくるのである。(p.125)


大腸の健康法 病気にならない「リラックス腸」をつくる
2009年01月30日 (金) 21:54 | 編集
大腸の健康法―病気にならない「リラックス腸」をつくる (平凡社新書)大腸の健康法―病気にならない「リラックス腸」をつくる (平凡社新書)
(2007/04)
松生 恒夫

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 「大腸の健康法 病気にならない「リラックス腸」をつくる」(松生恒夫/平凡社新書)読了。

 著者は、大腸内視鏡専門医として二万人以上の患者の大腸を見てきた専門家です。
 便秘や過敏性腸症候群、そして大腸癌まで、そのおこる仕組みと予防についての、分かり易い解説書です。
 特に便秘についての解説が事細かで、これに悩んでいる人は一読の価値ありでしょう。

 一般に、毎日排便がなければ便秘だという誤解があるようですが、著者によると「排便が二~三日に一度あって、特に自覚症状がなければ、便秘とはいわない」というのが大腸の専門医の共通認識なのだとか。
 ここでいう自覚症状とは、腹部膨満感、下腹部痛等だそうです。

 便秘で著者のもとを訪れる患者さんも多く、その経験から導き出された、予防と症状改善法が参考になります。

 食事療法の素材でとても有効なのが「オリーブオイル」なのだそうです。
 焼いたフランスパンに塗ったり、納豆に混ぜたりするとおいしく食べられるそうです。

 オレイン酸を含有するオリーブオイルは、比較的短時間では小腸で吸収されにくいということがわかったのです。したがって、短時間のうちに比較的多め(15~30cc)のオリーブオイルを摂取することで、大腸までその成分が行き届き、そこで腸を刺激してスムーズな排便を促してくれる効果が期待できるのです。(p.81)



 さらに、オレイン酸を含有するオリーブオイルは、リノール酸を多く含有するごま油やサラダ油より、大腸癌の発生が少ないのだという。
 スペイン人は日本人より油を多く摂っているのに、大腸癌が少ないのは、摂っている油がオリーブオイルだからなのです。
 だから、油というのは量より質が問題なのだそうです。

 また、便秘には食物繊維がよいと単純に思い込みがちですが、これはどうか?
 食物繊維には水溶性と不溶性という二種類があります。
 イモ類などは不溶性食物繊維が多く含まれる食物です。
 で不溶性食物繊維を摂りすぎると、かえって便が硬くなり、症状を悪化させることがあるそうです。
 著者によると、最近流行のマクロビオティクスの食材は、不溶性食物繊維が多いという印象を拭えず、注意が必要なのだとか。
 不溶性食物繊維を摂る時は、同時に水分を沢山摂らなくてはいけないそうです。

 便秘によいのは、水溶性食物繊維のほうで、これは寒天や納豆などに多く含まれます。
 また、ファイブミニもよいそうで、実際に患者さんに連続して摂取してもらったところ、「硬便が普通便に近づいたなどの自覚症状の改善を確認し、驚いた」(p.84)のだそうです。

 専門的な解説ばかりにかたよらず、すぐに実践できるあれこれがいろいろ書いてあり、為になりました。



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iPS細胞 世紀の発見が医療を変える
2009年01月11日 (日) 22:39 | 編集
iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書)iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書)
(2008/07/15)
八代 嘉美

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 「iPS細胞 世紀の発見が医療を変える」(八代嘉美/平凡社新書)読了。

 新聞やテレビのニュースで話題になった、「iPS細胞」ってなんだ という疑問に答えてくれる本です。
 「iPS細胞」とは「人工多能性幹細胞」のことだそうです。

 多能性という難しそうなな言葉は、私たちの体を構成する、いろんな性質をもったあらゆる種類の細胞になることができる、という意味であり、iPS細胞とは「大人の人間の細胞を原料に、いろいろな細胞になれる細胞をつくることができた」ということを示す名前なのだ。(p.13)



 心臓とか肝臓とか、臓器移植をしなくては治療できないような病気の場合、まず提供者が少ない。
 さらに、拒絶反応という問題もあります。
 自分の細胞から、臓器を作り出せれば、これらの問題をクリアーできるわけです。
 まさに、夢のような技術なのです。

 本書では、iPS細胞だけに焦点を当てて解説するのではなく、広く現代の再生医療を見渡せる構成になっております。
 前半は、iPS細胞を理解するための前段階として、「ES細胞」についての説明に費やされます。

 ES細胞とは何か
 ある性質をもった細胞が、別の性質をもった細胞になるということは本来ありえません。
 例えば、皮膚の細胞が心臓になるなんてことはないのです。
 しかし、受精後すぐの胚の中にある細胞は、どんなものにもなれる性質を持っているのです。
 これがES細胞なのです。
 このES細胞から必要な臓器を作り出す、というのがiPS細胞以前の再生医療の最前線だったわけです。
 が、このES細胞は、ちょっと考えてもいろいろな問題をはらんでおりました。
 まず、胚は壊さずにそのまま子宮に戻せば、やがて赤ちゃんとして生まれてくる能力があるのです。
 人はどの段階から人なのかという、倫理的な問題があやふやなまま、技術のみが先へ先へ行ってしまっている。
 さらに、ES細胞から作られた臓器の遺伝子は自分のものとは違うわけで、拒絶反応という問題も依然として残るのです。

 ES細胞の限界を知ると、自分の細胞から自分の臓器を作り出せるiPS細胞の技術がいかに素晴らしいものかがわかります。

 しかし、この技術もすぐに実用化というわけにはいかないのだそうです。

 例を一つ上げれば、臓器に形を与える難しさです。
 培養皿のような「平面」上では、うまく臓器が形作られないのです。
 三次元の空間でどう立体的に培養できるのかという部分がまだまだ研究段階なのです。

 ワシのようなド素人にもそれなりに理解できるように書いてありました。
 この分野に興味があるけど最初に何から読んだらよいかわからない、という人には格好の一冊ではないでしょうか。
悩む力
2008年12月29日 (月) 22:28 | 編集
悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
(2008/05/16)
姜尚中

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 「悩む力」(姜尚中/集英社新書)読了。

 「悩む」ということそれ自体について書かれている本です。
 夏目漱石とマックス・ウェーバーを手掛かりにして、安易な解決策に走るのではなく、徹底的に悩みぬくことの重要性について説かれています。
 ですから、よくある悩みを解消するための How to 本と思って読み始めると、肩すかしをくいます。

 著者によれば、漱石やウェーバーが生きた100年前と現代が非常に似通っているのだという。

 漱石とウェーバーが百年前に書いたものを改めて見直すと、「いまを生きる」われわれの悩みへの手がかりになりそうなことにしばしば出くわします。(p.21)



 人はなぜ悩むのか
 現代人の悩みの根本原因について、本書では「自由」というキーワードが頻出します。
 仕事、恋愛、宗教……、社会から強制されることが減り、自由になった現代人は、とるべき行動をすべて自分で考えなくてはならなくなりました。
 外から与えられていた判断基準がなくなると、自分の尺度で新しい判断基準を設定しなければなりません。
 強制されたものを疑わずに消化していくということの楽ちんさというのも、確かにあるわけです。
 それと引き換えにして手に入れた自由によって、多くの悩みが発生するのです。

 著者はその悩みを中途半端にせず、とことん悩んで突きぬけろと訴えます。
 そこで自分なりの解答を得て、生きることの意味が確信できるようになってゆくのだと。
 そうなれば何も怖いものなどなくなり、新しい人生が始まるのだと。

 福沢諭吉は「一身にして二生を経る」という言葉を残しました。私もそれをやってみたい気分になっているのです。自分という一人の人間の中で、二つの人生を生きてみたい。あえて言えば、怖いものがなくて、分別もないのなら、何でもできるのではないかという気分なのです。(p.171)



 こういう主張は確かにうなずけるものがあり、ワシも新興宗教とか占いとか、悩みの安易な解決はよくないと思います。
 しかし、精神力が著者ほどが強くない人や、悩みのレベルが深すぎて自分一人では手に負えなくなる人もいる、というのもまた事実でしょう。
 自分でルールを作って、悩みを背負込みすぎ、後で手遅れになるなんてことがなように十分注意しなければならないでしょう。

ジャーナリズム崩壊
2008年09月02日 (火) 21:53 | 編集
ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
(2008/07)
上杉 隆

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 「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆/幻冬舎新書)読了。

 著者は、NHK報道局勤務、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者を経て、現在フリージャーナリストとして活動中です。
 「官邸崩壊」というベストセラーをかっとばしたのが記憶に新しいところでしょう。

 本書のテーマは日本のジャーナリズムの水準の低さ、そして特に「記者クラブ」制度の弊害です。
 これがいかに問題だらけ、疑問だらけの制度であるかを、教えてくれます。

 ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者の経験から、外国のジャーナリズムの常識との比較の過程で、日本のシステムとの差異がくっきりと浮き彫りになります。

 「日本に『ジャーナリズム』はある。ただしそれは日本独自のものであり、海外から見ればジャーナリズムとはいえない」(p.18)



 著者の実体験が次々と出てきて、記者クラブ制度の問題点がどこなのか、とうことがよくわかります。

 例えば、記者クラブに入っていないと、政治家などに自由にインタビューもできないのだという。
 政治家は「記者クラブに許可を取れ」といい、記者クラブは許可を出さないため、フリーランスや外国人記者は結局自由に情報源にアクセスできない。
 政治を監視するどころか、政治家をスキャンダルから守るような、本来のジャーナリズムとは真逆の役割を嬉々として演じ、小出しに出される情報をもとに、みんなが同じ記事を書くという、なれ合いの談合体質。
 しかも、ごていねいに、お互いのメモを見せあい確認しあうという「メモ合わせ」なんてことまでやっているのだそうっす。
 このように、情報を独占し、かつ、クラブの人間以外が情報にアクセスすることを妨害する。
 国民の知る権利のために闘うぞ、などという気概は微塵もない。

 また、記者クラブ以外の日本の新聞のおかしな慣習は、引用した記事の出所をちゃんと書かないところだという。
 「一部週刊誌によると」などと書き、あるいはそれもまったく書かずにまるで自分が取材したかのように書き(「なになにだと分かった」とか)、しかもその記者自身は記事に署名しない。
 
 署名がないため責任があいまいな上、記事に間違いがあっても、新聞社はなかなか認めず、記者を罰するどころか、会社をあげて守ろうとする。

 その他、問題点がごろごろ出てきます。
 もう、途中で嫌になってしまい、もう新聞はとらなくてもいいんじゃないかとすら思えてきます。

 自費出版が問題になっても歯切れの悪いことしか書かないのはなぜかなー?と思っていたら、新聞社の子会社が自費出版の広告を出していてあきれたことがあります。
 記者はサラリーマンで定年まで無事勤め上げたいと思い、新聞社は、公平・中立・ジャーナリズム宣言()などと口先ばかりで、自分たちの金もうけの邪魔になることは書かないのでしょう。
 ま、商売だからと言えばそれまでですが。

 ワシなんか馬鹿だから、インターネットの個人のブログなどをあちこち拾い読みする過程で、それまで知らなかった事実やモノの見方に出会い驚くばかりで、新聞やTVなどが偏った報道を繰り返しているということに、最近ようやく気付き始めてました。
 そこにきて、本書を読み、あぁなるほどという感じです。

 本書の提示している問題点が、繰り返し論じられ、日本のジャーナリズムが国際標準に追いつくことを期待します。
生物と無生物のあいだ
2008年04月27日 (日) 21:57 | 編集
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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 「生物と無生物のあいだ(福岡伸一/講談社現代新書)読了。

 人は瞬時に、生物と無生物を見分けるけれど、それは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも生物とは何か、皆さんは定義できますか?(p.3)

 というプロローグから始まります。

 確かに不思議なのだこれは。
 たいていは明らかに分かり切っているわけです。
 スーパーで売られている肉は死んでいる。
 死んでいる肉を生き返らせることは絶対にできません!
 一方、それを買う人間は生きている。
 人間を構成している細胞の一つ一つは生きている。
 
 ここまでは了解。
 
 死んでいる肉を人間が食べて、肉が分解されて人間の細胞に取り込まれると、死んでいた肉は生きている細胞を構成する部品となるわけです。
 ここで、混乱が生じます。
 明らかに死んでいるものが、次の瞬間には明らかに生きているとしか言いようのないふるまいをし始める。
 これは死んでいるものが生き返ったと考えるべきなのか?
 あるいは、そもそもワシらが当たり前に考えている、生物と無生物の定義が間違っているのか?

 本書の前半は、野口英世は現在の基準でみるとほとんど意味のある発見をしていなかったという、ワシら一般人にとっては驚きの事実から始まります。
 そして、オズワルド・エイブリーやロザリンド・フランクリンなどという、あまりスポットライトは当たりませんが、非常に重要な研究をした科学者たちと、DNAとは何かという読み物です。
 この辺は文章がものすごくうまいので、すらすら読み進められます。
 それが、生命とは何かという疑問に対する一つの答え、「生命とは自己複製するシステムである」という定義に至る道のりであるわけです。

 しかし、福岡さんはプロローグでこう記しています。

 結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。生命の律動? そう私は先に書いた。このような言葉が喚起するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義づける方法はありえるのか。それを私は探ってみたいのである。(p.38)


 本書の後半の記述は、段々と小難しくなっていきます。
 福岡さんがアメリカで行っていた研究の詳しい解説が中心になってます。
 一生懸命分かりやくす伝えようとしている努力がありありと理解できるのですが、それでもワシのような素人には難解に感じてしまいます。
 たぶん、自分の見出した結論をリアルに理解してもらうためには、実験の過程を読者にも追体験してもらうことがどうしても不可欠だ、という判断でありましょう。

 生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである。


 これだけだと何が何だか分かりませんが、読んでみれば、なぜこの結論に達したのかがわかる仕掛けになってます。



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ナショナリズムの克服
2007年10月27日 (土) 21:42 | 編集
ナショナリズムの克服 (集英社新書) ナショナリズムの克服 (集英社新書)
姜 尚中、森巣 博 他 (2002/11)
集英社
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 「ナショナリズムの克服」(姜尚中 森巣博/集英社新書)読了。

 東京大学社会情報研究所所長で、長年「日本」について鋭い批判と分析を続けてきたという姜尚中さんと、作家の森巣博さんの対談です。
 テーマは「1990年代以降、日本に吹き荒れているナショナリズムの嵐」で、「本書はナショナリズムを理解し、何者をも抑圧しない生き方を模索する為の入門書です」という宣伝文句につられて読んでみました。

 「ナショナリズムの嵐」とか言われても、そんなものが本当に吹き荒れていたのだろうかとまったく気づかないで生きてきていたので、ここは一つ勉強しておこうって感じですか。

森巣 (・・・)まず最初にうかがいたいのは、姜さんの著書「ナショナリズム」のことです。というか、ぶっちゃけて言えば、このご本の内容を、通勤電車の車内でスポーツ紙を読むオッさんたちにも理解できるように語ってほしいのです。
 一冊分のダイジェストですか (p.30)



 という具合なので、そうとうに敷居が低くセッティングされており、ワシのように「ナショナリズムなにそれ」という程度の人間が読んでもそれなりに分かったような気にさせてくれます。
 「世の中にはこのような問題や、考え方があったのか」と目を開かせてくれる箇所が随所にありました。

人生、勝負は40歳から!
2007年09月15日 (土) 21:58 | 編集
人生、勝負は40歳から! [ソフトバンク新書] 人生、勝負は40歳から! [ソフトバンク新書]
清水 克彦 (2007/01/16)
ソフトバンククリエイティブ

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 「人生、勝負は40歳から!」(清水克彦/ソフトバンク新書)読了。

 ワシもめでたく今年で40歳ということで、この題名が目に飛び込んできました。
 暗室で写真を焼き続けるという仕事場で、文化放送をかけっぱなしなので、文化放送プロデューサーという肩書きにも親近感が湧きました。

 成功するために苦労は必要ない。
 人生は、自分で思い描いたようになる。
 不安は自分を伸ばすエネルギー源。
 ツイていると思うと本当にツキが回ってくる。
 誰からも好かれ頼りにされる技術。
 中年オヤジとナイスミドル。この差はファッション。


 ……等々、目次には胡散臭さプンプンの文字が並びます。
 内容は実にオーソドックスな自己啓発本です。

 「またこんなこと書いてある」と、以前にも読んだなーってことが頻出するのですが、それでも繰り返しこの手の本を読んでしまう。
 なぜかな?と考えるに、とても大切なことが書いてあり、読んでいる時はそれに気づくのですが、しばらくすると忘れてしまうからでしょうな。
 だから、バカにしないでじっくり読み進むと、心にしみこんでくる言葉が必ず見つかるのです。
 くだらないと思う部分はサッと切り捨てて忘れ去り、いい言葉は頭に刻み込む。
 それがこの手の本の読み方でしょう。

 ワシなんか、とびきり素直な性格なので、よし頑張ろうとか、今日からここを直そうとか、いろいろ考えつつ読みました。

 自分の得意技、好きだと思える分野で勝負しよう。
 できるかできないかではない。望むか望まないかだ。 
 どこかであきらめてきた結果が、今の自分。
 「チャンスさえもらえれば」と思っている人にチャンスは来ない。



踏みはずす美術史
2007年09月09日 (日) 12:08 | 編集
踏みはずす美術史―私がモナ・リザになったわけ (講談社現代新書) 踏みはずす美術史―私がモナ・リザになったわけ (講談社現代新書)
森村 泰昌 (1998/05)
講談社

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 「踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ」(森村泰昌/講談社現代新書)読了。

 著者は名作絵画に入り込むセルフポートレートで有名な現代美術家です。
 ずいぶんと昔から活躍しており、何度となく目にしているわけですが、何が面白いのか、どう面白がればよいのか、まるで分からなかったのです。
 その謎が少しは解けるだろうかと思い、購入してみました。

 森村さんは、美術に接する上で「美術史や芸術学の専門用語」という道具が重くて使いこなせないかったのだという。
 そこで、発想の転換をし、自分に使いやすい道具を使えばよいのでは、と思いつきます。

 まず、美術を見るときは、「考えるな」という。
 「感覚の互換性」というキーワードで話が進みます。
 かつて、カンディンスキーは「私は音楽を見る。そして絵を聴くのだ」と語ったのだそうです。
 感覚の互換性を「見る」と「聴く」の間だけではなく、絵を食べるとか、絵を着るとかいう感覚にまで広げてみよう。
 抽象画を見たときに、「あんなものはプリントされた柄だ」と思ってみる。
 服やカーテンを選ぶときの感覚で、絵を見たらどうでしょう。

 ・・・そしてここからが本番。
 美術というものが着るものだとしたら、ただ着るのではなく、着こなさなくてはならない。
 結果、「名作絵画に入り込むセルフポートレート」というアイデアに辿り着くのでした。
 ゴッホやレンブラントとソックリになるのではなく、それを引き寄せ「私自身の外形や心境に向こうが似るようにと、ゴッホやレンブラントを改造するのです。(p.31)」

 第二章の、森村さんがモナ・リザになっていく過程がくわしく解説されるのですが、これが実にスリリングっす。
 例えば、モナリザになりきるため、着ている服を知ろうとするのですが、オリジナルのモナ・リザは暗くて変色がはなはだしく、何を着ているのかよく分からない。
 そこで、モナリザの絵がそれほど変色していなかった時代の模写を参考に服の色や材質を決めていくのです。
 モナ・リザを着るためには、漠然とモナ・リザを見ているだけでは気づかない、細かいところまで観察しなくてはならず、深い深い理解が必要になるのでした。
 森村さんがやっている仕事の意味と面白みが段々と理解できてきます。

 第三章以降、岡本太郎や、ウォーホル、シンディ・シャーマン(なんと交友があるのだという)について書いてあり、どれも興味深い内容でした。
 なんとなく買った本だけど、これは掘り出し物でした。面白かった

情報のさばき方
2007年08月18日 (土) 22:26 | 編集
情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)
(2006/10)
外岡 秀俊

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 「情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント」(外岡秀俊/朝日新書) 読了。

 著者は朝日新聞の東京本社編集局長。
  
 内容は、まず「情報の収集」、それから「分析」、「伝達」と順を追って、著者が今までの体験から得た情報力を高めるヒントを、具体的に記した本です。

 情報力を高める為には基本的な五つの原則があるのだという。

 1.情報力の基本はインデックス情報である。

 2.次に重要な情報力の基本は自分の位置情報である。

 3.膨大な情報を管理するコツは、情報管理の方法をできるだけ簡単にすることである。

 4.情報は現場や現物にあたり、判断にあたっては常に現場におろして考える。

 5.情報発信者の意図やメディアのからくりを知り、偏り(バイアス)を取り除く。


 例えば、ここでいうインデックス情報とは何か
 本書では、どこに行けば、誰に聞けば確かな情報を得られるのか、という情報を「インデックス情報」と定義しています。
 そして、「インデックス情報」の管理をさまざまに試行錯誤してきた結果、辿り着いた極意とは・・・
 「物としての情報を捨てる」っつーこと。
 つまり「記憶」で管理するという方法に辿り着くのです。
 だから、資料は捨てるし、読んだ本は人に上げてしまうのだそうっす。

 こういう実践的なノウハウ以外に、面白いのは、新聞の制作裏話や、著者や仲間の記者たちの逸話などです。
 少し前に、「クライマーズ・ハイ」という記者を主人公にした小説を読んだばかりなのですが、本書を先に読んでいたらもっと楽しめただろうにとチョイ残念です。

 非常に落着いた語り口で、著者は誠実な新聞記者なのだろうと想像するのですが、原則の五つ目、

 5.情報発信者の意図やメディアのからくりを知り、偏り(バイアス)を取り除く。
 
 のところには、朝日の記者がよく言うよと、ちょっと疑問符が付く人もいるでしょう。
 最近では自費出版の問題など歯切れが悪い気がするのはワシだけでしょうか。
 これは朝日だけの問題ではなく、最近テレビ東京のWBSでも自費出版は素晴らしいっつー内容の特集をやっていて、もの凄い違和感を感じました。
 これは本書とは関係ない独り言ですが・・・。
ウェブ人間論
2007年07月14日 (土) 16:53 | 編集
ウェブ人間論 ウェブ人間論
梅田 望夫、平野 啓一郎 他 (2006/12/14)
新潮社

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 「ウェブ人間論」(梅田望夫・平野啓一郎/新潮新書)読了。

 「ウェブ進化論」の梅田望夫と芥川賞作家の平野啓一郎の対談です。
 
 対談は二度に分けて行われたそうで、

 それぞれ延々ぶっ続けで八時間以上にも及んだ。午後四時に話し始めて深夜零時をまわるまで、どちらかがしゃべっていない時間はほとんどなかった。(p.199)


 平野さんはわりとマイナス思考というか、深刻にインターネットの問題を考える傾向があり、梅田さんの方は「ウェブ進化論」の時のまんま、非常に楽天的に未来を予測してます。
 そのため、何が問題なのかが明確に浮かび上がってきて、対談としてはコントラストがあって、分かりやすく面白いです。
 お互いが同じ意見を持っていて、どっちがどのセリフを喋っているのか分からなくなる、というような、気の抜けた対談もよくありますが、本書は対談本としては理想的な組み合わせでした。

 例えば平野さんは、本の中身が検索できてしまったら、本が売れなくなるのではと危惧している。
 それに対して梅田さんは、

 作品の存在を既に知っていて買うつもりでいた人がそういう情報に触れて「ネットで関連情報が豊富に読めるから、本までは買わなくてもいいや」と思うマイナスよりも、作品の存在を知らなかった人がそいういう情報によって存在を知って本を買うというプラスのほうが大きいと思うんです。(p.119-120)

 おなじみの、「検索に引っかからなかったら、存在しないのと同じ」というウェブのルールですな。
 現実に、アメリカでは、アマゾンが出てきてから、本の売り上げが伸びているのだという。

 検索に関連して面白かったのは、本の題名の付けかたです。
 梅田さんは、本のタイトルをグーグルで空いているスペースから探してくるのだそうです。
 つまり、「ウェブ進化論」という言葉で検索すると、梅田さんの著作がトップで出てくるというわけ。

 インターネットの現在や未来について興味がある人は、いろいろと考えるきっかけになることが多く、お奨めです。
インテリジェンス 武器なき戦争
2007年06月11日 (月) 21:45 | 編集
インテリジェンス 武器なき戦争 インテリジェンス 武器なき戦争
手嶋 龍一、佐藤 優 他 (2006/11)
幻冬舎

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 「インテリジェンス 武器なき戦争」(手嶋龍一・佐藤優/幻冬舎新書)読了。

 「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、2002年に背任と偽計業務妨害で逮捕、執行猶予付きの有罪判決を受けてただ今控訴中の佐藤優氏と、元NHKワシントン市局長の手嶋龍一氏の対談です。
 「インテリジェンス」というテーマで語り合うわけですが、お互いをやたらとおだて合っているのが不気味っす。

 それはそれとして、内容はとても面白い。
 頭がよい上に、実体験も豊富な二人だけに、話していい範囲の裏話的なことがぼろぼろ出てきて、しかもあっちの出来事とこっちの出来事を結びつけ、分析し・・・と、読んでいて興奮させられます。
 ゾルゲから、杉原千畝から、イラク紛争まで、エピソードは限りない。

 それにしても、この佐藤という人が、本を書いたり、ラジオ出演をしたりで、時間を無駄にしているのが実に勿体無い限りです。
 日本の損失ではないか。
 それとも、官僚ってのはみんなこのくらいのレベルなのだろうか

 このくらい頭がいいと、並みの政治家なんかとは、馬鹿馬鹿しくて付き合ってられないだろうな。
 インテリジェンスを扱う人間のの資質に関して、例えば、まだ記憶に新しい、ホリエモンが自民党幹事長の次男に3000万円の振込みを指示したとされた、「ガセメール」事件に関わった政治家についてこんな会話がなされます。

 佐藤 こんな言い方をしては前原誠司前民主党代表に申し訳ないですが、カラオケ屋さんで音痴の人が自分の音がズレていることに気づかないままマイクを握っているようなものですね。あのミスは実に決定的なもので、もはやインテリジェンスの世界に入ることは許されない。あのガセメール事件は、彼が入場券を失った事件だと思います。
 手嶋 政治生命を失ったという事態にならなければいいのですが。
 佐藤 少なくとも、もう二度とインテリジェンスや安全保障には触らないほうがいい。これは資質の問題なので訓練しても直りません。(p.187)



 手嶋さんもNHKを辞めて、生き生きとしてますなぁ。
徳川将軍家十五代のカルテ
2007年05月26日 (土) 21:27 | 編集
徳川将軍家十五代のカルテ 徳川将軍家十五代のカルテ
篠田 達明 (2005/05)
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 「徳川将軍家十五代のカルテ」(篠田達明/新潮新書)読了。

 著者の篠田氏は医者にして作家であり、過去に著書「法王庁の避妊法」などが直木賞候補になったのだそうっす。
 歴代徳川将軍の健康状態や死因を、列伝形式でコンパクトにまとめた、とても読みやすい内容となっております。

 将軍は火葬にせず、土葬だったため、過去に発掘調査なども行われていて、そういった科学的データと過去の文献から、現代的診断が下されてゆく。
 テレビなどで知ったような気になっている、有名な将軍たちの意外な一面がどんどん出てきて、実に興味深いのだ。
 歴史好きの人は、必読でしょうな。

 一例を挙げると、生類憐みの令でお馴染みの、綱吉。
 内分泌異常の低身長症で124センチしかなかったという。
 綱吉は自ら舞台に立って能を演じ、二百回におよぶ儒学の講義をしているのですが、それもコンプレックスを晴らす為のパフォーマンスではなかったか、と著者は分析しています。
 また、強度のマザコンであり、朝廷にたいして、身分の低かった母親に高位の位階を授けるように執拗に働きかけたのだという。
 そして、その話がまとまり、朝廷からの勅使と将軍・綱吉の引見儀式の日に、浅野内匠頭が吉良上野介に突然斬りつけるという、有名な松の廊下事件が起きるのです。
 超大切な日に起こった事件に、綱吉は頭に血が上ってしまい、一切取調べをすることなく、浅野内匠頭を切腹に処してしまいました。
 このおかげで、忠臣蔵の討ち入りが起こるのです。
 ちなみに、著者によると、浅野内匠頭の症状は統合失調症の被害妄想の症状によく似ているという。
 今「はしか」が大流行していますが、綱吉もはしかにかかった後死亡しました。

 はしかウイルスに感染したあと肺炎や脳炎を合併するのはウイルスと戦うためリンパ球が総動員され、発病早期からリンパ球が激減するからである。最近の研究によると、感染して十日から二週間ぐらい経って発疹などの症状が出はじめたころ、体内のリンパ球は正常値の二十パーセント以下に落ちこむとの報告がある。さいわいこどもは二週間ぐらいで正常値にもどるが、大人は回復するのに三、四ヶ月から半年ぐらいかかる。とくにワクチン接種歴のない大人は免疫不全状態が長期間つづくので厄介である。(p.96-97)



 将軍だけではなく、親戚のことも少し載っていて、水戸黄門こと光圀も出てきます。
 死因は飲酒のし過ぎによる食道ガンということで、家康もその息子の秀忠も消火器ガンであったことから、ガン家系なのではないかっつーことです。

 江戸時代は今では考えられないことですが、白粉(おしろい)の「鉛毒」が深刻な問題だったそうです。

 将軍の乳母たちは鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚くぬった。抱かれた乳幼児は乳房をとおして鉛入りの白粉をなめる。乳児も白粉を顔や首にべったりぬられた。鉛は体内に徐々に吸収され、貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺などがおこり、脳膜の刺激症状が出ることもある。後遺症として痙性麻痺や知的障害がのこるケースもあった。鉛中毒は将軍の子女のみならず当事の大名や公家など上流階級にはよくみられた疾病だった。(p.181-182)



憲法九条を世界遺産に
2007年04月18日 (水) 22:03 | 編集
憲法九条を世界遺産に 憲法九条を世界遺産に
太田 光、中沢 新一 他 (2006/08/12)
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 「憲法九条を世界遺産に」(太田光・中沢新一/集英社新書)読了。

 憲法改正論議が盛んなご時世の中、第九条は変えないほうがよい、いっそ世界遺産にしてしまおう、っつー話。

 爆笑問題の太田光が、ちゃんと中沢新一と対等に会話できるレベルである、・・・ように読める内容なのですが、単に中沢新一が太田光のレベルに合わせているだけなのか
 最近話題になっている、中沢新一とオウム真理教の問題なども、ちらりと言及されますが、本当にチラリだけ。
 ま、「憲法九条を世界遺産に」という対談なのだから。

 憲法九条がおかしな法律である、ということは二人とも重々承知していて、それをわかりつつ、それでもこれを守り続ける事に意義を見出すという主張。
 読んでいると、ふんふんと頷けるし、ワシも改正はしなくてよいと思うのですが、この主張の微妙なニュアンスをたくさんの人に伝え、理解してもらえるのだろうか・・・・・・これが一番難しいところでしょう。

 読んでいて面白かったのは、アメリカ建国精神がアメリカ先住民の平和思想の影響を受けていて、更にそれが、日本の憲法にも影響を与えたのだという、いかにも中沢新一チックな話。
 地中深く埋まっていて、それまで気がつかなかった物事の関連性を、無理やり穿り返してみせつける。さらに、場合によってはあんたが強引に繋げたんじゃないか、とすら思えるような主張。
 ワシはこれを「中沢節」とよんでいるのですが。

 アメリカ先住民の思想が、建国宣言に影響を及ぼし、その精神の中のかすかに残ったものが日本国憲法に生きている。それが日本民族の精神性と深い共鳴をもってきた。そう考えれば、日本国憲法のスピリットとは、一万年の規模を持った環太平洋的な平和思想だといっていい。だから、決して新しいものではないのです。(p.135)

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