こんな本を読みました。
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はじめて考えるときのように
2009年12月20日 (日) 21:38 | 編集
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
(2004/08)
野矢 茂樹

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 「はじめて考えるときのように」(文・野矢茂樹 絵・植田真/PHPエディターズ・グループ)読了。

 副題は “「わかる」ための哲学的道案内” とあります。
 無理やり分類すれば、哲学入門のような本ですが、全く堅苦しさはありません。

 「考える」とはどういうことなのか、小さな子供に説明できるでしょうか?
 ワシらは皆、常になにがしかを考えながら生活しているのでしょうが、「考える」ということそれ自体について考えたことってないでありましょう。

 普段、無意識に当たり前のようにしている事なのですが、改めて問い直し分析してみると、「考える」ってどういうことなのか、大の大人のこのワシにはよく分かっていなかった、という事実を突き付けられてしまうのでした。

 特に、人間は頭の「中」で考えているのではない、という指摘にはハッとさせられました。

 考えるということは、実は頭とか脳とかでやることじゃない。手で考えたり、紙の上で考えたり、冷蔵庫の中身を手にもって考えたりする。これがひとつ。(p.152)

 どうも「考え」っていうのは、まず最初は「内側」で生まれて、次にそれをことばにのせて「外に」伝えるものと思われがちのようだ。そして、ことばにのせないでとどめておかれると「内に秘めた考え」とか言われる。
 でも、ぜんぜんそういうものじゃないと僕は思う。(p.158)



 例えば、暗算。
 筆算ができて初めて暗算ができるようになる。
 暗算が先などという人はいないと筆者は指摘します。

 じっさいに目の前のもので手を使って操作できるひとだけが、イメージの中でも操作できるようになる。(p.155)



 文章がやさしく、説明を急がないので、読んでいるうちに作者の言わんとすることがだんだん分かってくるという流れがとても気持ち良いです。
 中学生くらいから十分に理解できる文章でしょう。

 一見当たり前で見向きもしないようなことを、あーだこーだと分析している本書のようなやさしい哲学書っつーのは、若い人でも年取った人でも、これを読むと、脳みその基礎体力が上がるんじゃないでしょうか。


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ツチヤ教授の哲学講義
2006年05月03日 (水) 22:34 | 編集
ツチヤ教授の哲学講義 ツチヤ教授の哲学講義
土屋 賢二 (2005/12)
岩波書店

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 「ツチヤ教授の哲学講義」(土屋賢二/岩波書店)読了。
 「連休中だっつーのに、なにつまらないもの読んでいるんだ」 と言われそうですが、もうすぐで読み終わりそうだったので、頑張って読みきってしまいました。

 ユーモアあふれるエッセイで有名な、土屋教授の講義を元にした本です。
 哲学のことを何も知らない生徒にする哲学入門の話で、とても面白かったです。
 ちょいと繰り返しが過ぎて、クドイ!という印象の箇所もあるにはあるのですが、とにかくちゃんと判らせたい、という真摯な姿勢に好感が持てます。

 後半のウィトゲンシュタインの話が進むに従い、どんどん白熱して行き、伝記でも読んでみたくなりました。
 有名な 「語り得ないものについては沈黙しなくてはならない」 という、実に当たり前な言葉がありますが、この当たり前の言葉の重み、含蓄の深さがわかりました。


 人は誰でも「自分の人生に何か意味があるのか」、「善や悪とはなにか」 などと疑問を持ち、答えが出なくて苦しみます。
 苦しい時、安易に宗教などに走りがちです。
 「祈り方が足りない」、「この壷とおふだを買えばよくなります」 とか、現実をぱっと飛び越えると、訳が判らないながら、なんとなく納得してしまう。

 考えるのが面倒。考え方がわからない。わかり易い説明にとにかく飛びつく。

 が、それでいいのか。
 スーパー頭のいい連中が、紀元前から様々な疑問や悩みに真剣に取り組んできて、完璧に答えられてはいないにせよ、ある程度の成果が出ています。
 せっかくのそういう成果を、自分の人生に活かさないという手はないんじゃないか。

 一人では、考えても考えても先に進まないということはあります。
 自分の頭にある脳味噌とは違う脳味噌は、どのように考えたのか、どんな風に議論を組み立てていったのかを知ることは、とてもスリリングで、世界がわーーっと広がっていくようなエクスタシーがあります。

 この本を読んで、哲学ってのは 「考えるテクニックを教えてくれる学問」 なのではないか、と思いました。
 結局、ウィトゲンシュタインにいたっては、「すべての哲学的問題は答えることができない」 などという身も蓋もない結論に至ったりしてるのですが、「どうしてそういう結論に至ったのか」 についての土屋先生の解説、考え方の道のりがとてもオモシロイのです。
 哲学に関するなーんの知識もないというワシのような人間は、まずこういう哲学の入門書を読んでみるとよいと思う。


 あるとき、ハイデガーという人が 『存在と時間』 という本を書いたということを授業で教わって、「存在と時間」 という組み合わせって、なんて深遠なんだろうと思いました。ぼくはそのときに、東大の文化一類という法学部に進むコースに入っていて、法学部を出て官僚になって人生をスイスイわたっていこうと思っていたんですけれども、そんなに深遠なことを何も知らないまま死んでいってもいいのかと思ったんですね。どんなに面白おかしく人生を過ごしても、そういう深遠なことを何も知らなかったら、ものすごく重要なことを見落としたまま、一生を過ごすことになるんじゃないかと思ったんです。(p.10-11)

哲学の冒険
2005年03月05日 (土) 23:17 | 編集
哲学の冒険 「マトリックス」でデカルトが解る哲学の冒険 「マトリックス」でデカルトが解る
(2004/12/15)
マーク・ローランズ

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哲学の冒険 [マトリックス]でデカルトが解る」(マーク・ローランズ/集英社インターナショナル)読了。
 朝日新聞の書評で読み面白そうだなと思い、インターネットで図書館に予約して3週間くらい待ちましたかな。
 ハードカバーで電車内では読みにくかったのですが、待った甲斐のある面白さでした。

 SF映画をとっかかりにして、哲学の基本を教えてくれるという内容です。
 目次は「『フランケンシュタイン』で実存主義が解る」、「『ターミネーター』で心身問題が解る」などとなっており、その映画のあらすじや場面を基に哲学の話が広がってゆきます。

 たとえば、哲学の中心的概念のひとつである「不条理」を解説するのに「フランケンシュタイン」は最もふさわしい話であるという。
 「不条理」とは自分の願望や感情と現実との間に生れる顕著な矛盾のことなのですが、そんなこと言われても何がなんだかさっぱりわからない。そこで、「フランケンシュタイン」を利用すれば、解りにくい「不条理」に対して解りやすいアプローチが出来るのです。
 フランケンシュタイン博士が作ったモンスター(名前すら無し)が人に親切にしようとしても、彼の身なりがあまりに醜く不気味なので人は彼を拒絶し迫害する。
 彼の内側にある気持ちが、彼の外側にいる人には理解されない、そして彼と彼の外側の世界とが対立してしまう。
 さあ、あなたも自分がフランケンシュタイン博士のモンスターだったらどうだろう、と考えながら映画を見てみましょう……。
 そうなのだ。例を挙げて説明してもらえると解るのだ。要するに、我々が取る行動がもつ自分自身にとっての意味と、他人にとっての意味とが衝突し、人間的に悩んでしまうこと、これが「不条理」である。

 心身問題(心とは何かという問題)とか、「マイノリティ・リポート」を題材にした自由意志の問題など特に面白かったっす。
 著者のマーク・ローランズは哲学の教授だそうで、講義を基にまとめたのが本書だそうです。
 この問題に関しては、こういう考え方もある、これもある、という風にいろいろな意見が提出され、ワシが普段不思議だなと思ったり悩んだりすることがすでに深く深く掘り下げられていて、己の無知を思い知りました。
 こんなの当たり前って深く考えないことを深く考えるのが哲学なのでしょう。
 最後に印象に残ったとこを引用いたします。 

「草によって反射された電磁スペクトルは、ただのエネルギーの波なのだから、そこに色があるわけではない。草が反射するエネルギーは目には見えないのである。
 ではいったいなぜ緑色に見えるのか?
 簡単にいってしまえば、電磁放射線の反射された波長を緑と解釈するから、緑に見えるだけのことなのだ。つまり、緑の色は脳の活動が作り出すものであったというわけだ。
 といっても、脳の中に何か緑色のものがあるわけではない。脳は灰色でねばねばした細胞で作られていて緑色ではない。草を見ると我々の脳の一部が緑色に変わるというわけではない。
 ならば、草の緑色はどこにあるのか? これが色の不気味さである。『どこにもない』のだから。」(p.85)

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